1972年3月14日 最後の「うずしお」 

1972年3月15日に東海道新幹線は初めての路線延長で岡山まで延びました。それまで線路端に向かえば小一時間で153系や181系、485系、583系などの優等列車を何本も見ることができた東海道本線西端の環境は一夜にして激変します。

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なんちゅう写真ですか・・・・
たぶん、うわっ、来た、と焦って撮ったんだと思います。激ヘタですみません。
新大阪から宇野へ向かう特急うずしおの最終日の姿です。
いま、この写真を見て気付いたのですが、これ485系じゃなくて489系ですね。下り方(・・・なので新潟経由で上野まで運べば横軽でEF63をつなぐ上り方です)クハのスカートにジャンパ栓が見えます。

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なんちゅう写真ですか・・・・
大阪から3駅目、立花駅から甲子園口駅へ向かう東海道本線の大きなカーブは少し上り坂になっていて六甲を背景に武庫川の鉄橋へ至ります。わたしの幼少期の電車ウォッチング場所だったのですが、今、鉄道ピクトリアルのアーカイブ版など見ますと星晃氏をはじめ、そうそうたる方々がこの場所で撮影されていました。
最初の写真を撮ってさらにあわてて目の前の築堤をよじ登り、後追いを撮ったのでしょうが時すでに遅し、ですね・・・。

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なんちゅう写真ですか・・・・
きっと「うずしお」を撮って満足して帰ろうとしたら、このキハ181系特急「おき」がやってきたのでしょう。
これまたあわてて撮った様子がよくわかります(爆)。
1970年代初めには阪神間でもこんな空き地があったのですよ。もちろん今は住宅密集地になっています。

さて、母の実家が岡山から伯備線、さらに新見から芸備線に分け入った広島県北部のド田舎にありまして、毎年夏休みにはそこに預けられておりました。
(←新見でのD51の写真はこちらから)
4歳の夏休みには母に連れられて151系うずしおで岡山で乗り換え、大阪から米子へ直通するキハ58系急行「だいせん」(のちの「おき」、特急格上げ後は「やくも」)が設定されてからは「だいせん」「おき」で、何度も通いました。
懐かしいです。

でもこの写真じゃあ
恥ずかしいです。。。

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コメント

こんいちは。

先日から懐かしい車両の写真が!
新幹線と言えば夢の超特急0系大窓です。
私がもの心付いたときには、ステンのサボ受けは無かったですけど。
カトーさん小窓のみで大窓出そうで出ませんね。
ボンネット良いですね~
いつも感じ言葉になってしまうんですけど、「何度見ても最高です」
それに、”うずしお”おき”というネーミングも懐かしいです。
昭和万歳です。

お邪魔しました。

D-Train殿、いつもコメントありがとうございます!
電車は昭和に限ります!昭和電車、サイコーです!
このステンレスのサボ受けはなぞなんですよねー。なんでここまでフラッシュサーフェスを徹底したデザインなのにコレだけぼっこり飛び出したんでしょうね・・・
KATOの大窓は103系リニューアルとともに私の長年の夢であります!
「うずしお」の愛称はほんとうにステキでした。ずばり地名や花鳥の名称より雰囲気がありますよね!国鉄の優れた愛称の中でもずば抜けたセンスだったといまも思います。

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