【特糞最前立腺】ここはドコ?ワタシは?【吠えろ!わんわん!】その後 

今日、10月20日はわたしの命日。
わたしは53年前の今日、死んだ。
わたしには生前、いまから59年前に別れて、そしてすぐに死んだ妻がいた。
実は先週、その妻だった早苗から突然メールがあったのだ。
メールは必ず突然やってくる。まもなく59年前に別れた奥さんからメールが来ますよぅ~というメールは来ない。
来週はあなたの命日、あの64年前の夏のように大和川の川原へご一緒しません?

ひ?
なぜわたしより先に死んだキミがわたしの命日を?

そんなの、ホトケブックで調べればすぐにわかりますわ。
ホトケのフェイスも3度まで、うふふ。

ああ、ホトケブックか。
ASNS、 あの世の ソーシャル ネットワーキング サービスだな。
見るたびに、この彼岸のお供えの羊羹は虎屋だったとか、留学先のロンドンへ玄孫の顔を見に雲に乗って行ったとか、人に聞かせてもなんの価値もないジマン話ばかりでつまらんので一向に見ていない。

よし!わかった、じゃあ、10月20日にちょうどあの日と同じ9時に天王寺の国鉄の改札で待ち合わせよう。

写真 1

生きていたらわたしは95歳、早苗だってもう92のはずだ。

しかし、天王寺の、いまはJRというらしいが国鉄の改札で待っていた早苗はあの頃のままだった。
早苗、変わらないな。
あらいやだ。ホトケ様は歳をとらないのよ。だから私は29のまま。
貞夫さんだってぜんぜん変わらない!
でもいまごろは銀行員だってそんな髪型はおかしいわ。

写真 2

関西線の列車はまったく変わっていた。
あのときはC57の牽く客車列車だった。
気動車の時代や、101系や113系の時代もあったらしいがもちろんわたしはホトケブックで見ただけだ。

ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)

電車が走り出すと不意に早苗が狂ったように歌いだした。
あのときとまったく同じ声で。

でもなんであのとき早苗はメールって知ってたんや?

写真 3

電車は柏原に着く。
でもあのときのように道明寺線の電車は待っていなかった。

DSC_4152_20161020144651e2a.jpg

しばらく後に道明寺から折り返した電車がやってきた。
色も形も変わったけれど、2両連結だけは変わらないな。
あのとき描いた絵を思い出して貞夫は笑った。

DSC_4163.jpg
写真 4
写真 5

柏原南口まではほんの短い一駅。

写真 1

駅からすぐの人道橋で大和川を渡り、左岸の川原を歩いて、ようやく構図が決まった。

写真 3

北東向きの風景はやや逆光気味だが、真夏の陽は強く、向こうの山、そして電車の正面を輝かせるには十分だ。
絵を描き始めたのは午前10時半すぎだった。

DSC_4281.jpg


早苗の持参した弁当を川原の木陰で食べ、午後3時には筆を置いた。

帰りは道明寺か土師ノ里まで歩こう。

写真 4
写真 5
写真 4
写真 1

点在する遺跡や古墳を散歩しながら、近鉄南大阪線の土師ノ里の駅に着いたときはすでに5時を回っていた。
さんざん歩かせてしまったな。
少し貞夫は後悔しながら、ふたりは阿部野橋行きの電車に乗り、北田辺の家まで早苗を送り届けた。

(←ここはどこ?の捜索依頼編はこちら)
(←みなさまの推理編はこちら)
(←解答編はこちら)


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コメント

鉄犬風書きっぷりの

筒井康隆作品みたいになってきた~?

  • [2016/10/20 17:59]
  • URL |
  • 尼セン@唐木田
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

負け惜しみ

本当にここなの?
いくらなんでも山をまるっと省くきゃ?
鉄橋の細部だけここでデッサンして、他の部分は南海で・・・←未練がましい

往生際が悪いですけど…

すでに回答が示されてはいるんですけど…、あの絵の「山」なんですけどね、允恭陵の森に思えてしょうがないんですよ。

ワシの幼少の頃、大和川の堤防から南大阪線のカーブ(土師ノ里の切通しを過ぎると、道明寺まで下り勾配になってます。)の先の允恭陵の森まではっきり見えていました。
昭和27年と言うと、周りに家などは無かっと思うので、あの鉄橋を人道橋の辺りからから見ると允恭陵を見通せたんじゃないかなと。
そして、向こう側の白い橋脚は国道170号線の橋ではないかなぁ、、と。

あ、光線の加減が違うのか〜(汗
すいません、戯言でした。。。
(あんまり気になってしょうがなかったんで、書いちゃいました。)


南海は論外としても

まぢにゃんさんかわんわん殿が正解の様な気がします。
木を見て森を見ずの結論になってませんか。
0点が何度もすみません。

架線柱

今回も感度モノです。
実写画像も添えて現実感満載。

そして・そして、最初から5枚目の画像。

架線柱を継ぎ足したのがはっきり解りますな。

さすが撮影ポイントを心得ていますね。

私も・・・

自説よりまぢにゃんさんの御説が説得力あるように思えてきました。
同じ角度の写真を拝見すると奥の道路橋が貞夫さんの作品に比べてくっつき過ぎで、地図を見ると、170号線の橋なら適度に離れていそうな気がします。

早苗さんはハイカラな御嬢さんだったので、お手紙のことを横文字でメールと呼んでいたと邪推します(ダメ推理の上塗り)

いやいや

尼センちゃん、
なんといっても狙いはノーベル賞ですから、もう筒井康隆は越えてると思います(大糞核爆)
ローレル賞じゃないよ(核爆)

そうなんです

モナ田さん、
現地へ逝ったオレの第一印象もホントにここなのきゃ、でした。
山です。やっぱり。おかしい。だけど南海はないな(糞爆)。

うーん

まぢにゃん殿、
柏原側上流から藤井寺方向を見たらやはり手前に人道橋がくるからなあ。
光線も違うし。
でも、だからといって答えとした藤井寺側下流から柏原市を見たらごらんのとおり、山が全幅に渡って見える・・・・
ようするに
ドコにしても違うところがある。
案外、鉄橋だけここで描いてあとは南海で(大糞核爆)・・・・

うーん

モナ田2号さん、
橋脚や架線柱を見て山を見ずになってるかも。
でも、山と同時に森的な要素は光線ではないだろうか。
そこでまぢにゃん説とわんわん説は消えていたのだが・・・・
やっぱりここにきて光線か山か、どっちを優先するか、になってきましたねえ

ありがとうございます!

怪鳥うず爺殿、
さらに次回は算数、こくご、リカ・・・などなどあらゆる角度から再考察します!
おたのしみに・・・

それがやなー

みかんちゃん、
170号線はむちゃくちゃ遠いねん。
それにまぢにゃん説だと手前の人道橋の存在が理解できなくなっちゃう・・・・
わからん。
実にわからんくなってきた。

手紙、って打つもんなんか?
あ。タイプライター。
そうだな、そのとおりだ(糞爆)

もう一つ

明智犬五郎どの;
昨夜、「道明寺線」で画像検索していたら、その人道橋は昭和46年ごろ架け替えられていました。
それまでは木橋で、もちろん木製の橋脚です。
新しい橋の橋脚は鉄管かコンクリートかわかりませんが、白い橋脚です。
あの絵の橋脚は白く描かれていますが、木製の橋脚だとすると黒っぽく彩色するはず。
と言うことは、やはりあの白い橋脚は国道ではないでしょうか?

昔あそこに人道橋はなかったような気が~~~

人道橋

たけしたさん;

小さい頃渡った時は、橋脚が低くもっと川面に近いイメージだったので調べてみました。
(架け替えられたのは昭和48年ごろのようでした。)

木橋の橋脚は今と同じくらいの高さでしたが、よく考えてみると橋脚の色が違う事に気がついたのです。

ただ、昭和30年代のことなので昭和27年に人道橋があったかどうか定かでは有りません。

まじな考証書き込みが多いですが・・・

ノーベル賞狙うには、早苗の描写にもう少しエロさが欲しいですねぇ。
ローレル賞でなくてブルーリボン賞狙うなら映画化が必要です。

  • [2016/10/21 13:13]
  • URL |
  • 尼セン@唐木田
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

遅れて横入りすみません。

中学、高校と美術部員から。
この絵が写生か心象かによって、例えばバックは省略したりデフォルメしたりはあり得るのでは?
印象派的な画法からすると、鉄橋以外のデフォルメする、ってのは有りな気がします。
お節介コメ、すみませんです。

たけしたさん、昭和44年には確かに人道橋はあります。(証拠写真あり)木造橋で沈下橋のように手すりは膝ぐらいの高さしかありません。橋脚も木製ですが夏の暑い時期では乾燥して白く見えませんか?事実10月の写真でも白く写っています。

人道橋の橋脚はむかしからコンクリートですよぅ~

まぢにゃん殿、
昭和48年以前の古い人道橋ですが、たしかに欄干は木製ですが、橋脚はコンクリートですよぅ~

うー

たけしたさん
上記のように昭和48年に架け代わる以前も人道橋は存在してました。
いつできたのかは調査できてませんが、以前の橋の仕様から、耐用年数60年のもののようですから、昭和27年にはあったように思います。

あくまでも

尼センちゃん、
筒井康隆賞でもローレル賞でもブルーリボン賞でもなくやっぱりノーベル賞です。
ボブディランがやっぱり幼少時の苦労話を自慢げに日経新聞に書くのかどうかが気になります!
早くオレも書きたいなー(大糞核爆)!

Cedarさん、
川の色は青、空も青、雲は白、山か木かは緑、電車は電車、橋は橋の形状で描かれているので、ここでは風景の具象画と考えています。
絵なのでデフォルメはもちろんあるでしょうが、みなさんそこまで踏み込んでお答えいただいているので特にこのまま進めていきます。と、いってもあと1回だけですが・・・・

そうですかぁ。人道橋は覚えがありませんわ~~ ただ鉄橋を従兄弟に連れられて渡った覚えはあります 強烈でしたから~~ 確か線路の真ん中の渡り板を歩きました。怖かったです。帰りは電車で帰ったようにおもいます。 お正月の出来事でした。追伸 帰りはSLの引く普通列車で湊町駅まで帰り機関車の付け替えを見てから帰りました。

当日は時間切れかな?

7月の河原は日差しが強いうえに蚊に刺された早苗は貞夫に言った。もう帰りましょう。
銀行員で計算高い貞夫は早苗に嫌われないために絵画を切り上げた。午後3時。
描きかけの山の背景は、構図の左側少しの緑で中断したが、不本意なので嘘であることの証に、そこには無い信号機を印して終わらせた。

因みに、モ6601一族のパンタは、すべて阿倍野向きの上、2色塗りはS28以降のようなのでこれもチト外れかなあ。

命日に、

たま子さんから、一生の思い出になりました、とメールがいきなり来ました。あと1回、ノーベル賞目指して、よろしくお願いいたします、おまる核爆。

真実と正解

必ずしも同一とは限りません。
ここで両親がデートして絵を残した。
そこに今、私は立つことができた。
たま子さんがそう思ってくれる場所は、わんわん殿が最初に行ったあの場所ではないでしょうか。

みなさん!

コメント返し遅くてスミマセン!

ひ?

たけしたさん、
それではまるでシグ鉄さんの小説やないかー(大糞核爆)!
↓参照
http://shigtetsu.blog.fc2.com/blog-entry-334.html

ひー!

奇車怪社さん、
うーん。ちょっと違うようですよぅ(爆)。
しかし、6601のツートンカラー、S28からですか!?
んじゃー、完全に6801ですね!
ありがとうございました!

ひー!

おまるちゃん、
そうでしたか!?
そりゃものすごい公営× 光栄です!
最後の1回、今朝アップしました、が、
その後のアレ、ありがとうございます。
もう一回やります(おまる大爆発)!

どうも・・・・

モナ田さん
ありがとうございます。
そこは、たま子さんに委ねたつもりだったんですが、なんとこれまたスゴい資料が出てきまして・・・・
今朝の最終回に続いて、少々とりまとめの上、もう一度やることになりました。
お楽しみに(ダレ?)!

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