【特糞最前立腺】ここはドコ?ワタシは?【吠えろ!わんわん!】いよいよ、正解の発表です! 

昭和27年7月27日は良く晴れた日曜日だった。
貞夫はいつもの過労が祟って寝坊をしたが、それでも9時すぎには神戸岡本の自宅を出て駅に向かった。
阪急岡本駅で乗り込む電車からは貞夫と入れ違いに数名の女学生が降りる。
最近流行のサークル活動か。のんきなものだ。
すでに気温は30度近い。
車内は空いている。開け放たれた窓からの風に日曜日でも銀行員らしく整えた貞夫の髪が乱れる。
梅田に着くとちょうど10時だった。
開店したばかりの阪急百貨店で冷菓を10ほど買い、地下鉄御堂筋線に乗り換える。
いつも満員の地下鉄だが、今日はこちらも空いている。
一駅目はいつも貞夫が勤め先の銀行へ向かう淀屋橋。
今日はここでは下車しない。

天王寺はすでに買い物の奥さん連中で賑やかだ。
そうか、近鉄百貨店で買い物すればもう少し冷たいまま持っていけたな。
小さな後悔を感じながら、ちょうど出発間際の電車に乗った。
下りの近鉄電車はさらに空いていた。
阿部野橋から2駅、北田辺にはあっと言う間に着いた。
先週の日曜は東京への出張の前日でいまごろは米原を過ぎ、関が原を登るころだっただろうか。
前々週は大阪で89人の死者を出すほどの記録的な大雨の影響で会えなかった。
3週間ぶりに訪問する恋人早苗の家への道すがら貞夫は振り返っていた。

家の前に着くとちょうど早苗が郵便受けを見に、門のところまで出てきていた。
いや、はやる気持ちでずっと門のところで貞夫の着くのを待っていたのだが、それを察されるのが恥ずかしくて郵便受けを見る振りをしただけのことかもしれない。
早苗の父はすでに外出していた。
ひとしきり、東京での貞夫の出来事や、先週の日曜日早苗が出かけた天王寺美術館での展覧会の感想など、他愛のない話が終わるともう昼前。
昼飯には早苗の母と早苗の妹、そして早苗と貞夫の4人で早苗が茹でたそうめんを食べた。
氷に漬けておいた貞夫が持参した冷菓もようやく冷たさを取り戻し、これは早苗とふたり縁側に並んで食べた。
そのまま貞夫は縁側で寝入ってしまったようだ。
早苗が気を利かせて貞夫にタオルケットを架けたのだが、それが返って仇になってずいぶん汗ばんで目覚めるとすでに3時を回っている。
少し散歩でもしないか?
大和川まで。
画を描きたいんだ。

大和川まで?
それはまた、ずいぶん遠おくてですこと!
わたし、小学校の遠足で一度だけ歩いていったことがあるのですが1時間半もかかるでしょう。
この時期とはいえ、着いて画を描き始めたらもう日没も間近ですわ。
私は大丈夫、歩けますけど、貞夫さんのお体を考えると画のお道具を持って大和川まではお勧めできません。
散歩の支度の間中、それでも早苗は鼻歌を口ずさんで母に叱られるほどご機嫌だった。
お出かけいたしましょう、メイクにお着替えね。
どうしましょう!あのひとの好みを知らないわ。
迷うわあ!
セクシーなのキュートなのどっちがタイプよ?


結局、もう一度北田辺で電車を拾い、3駅目、矢田で下車した。
たった5分ほどの車中だったが、相変わらず早苗はご機嫌だった。
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)

なんや、そのメールっちゅうのは(糞爆)?

矢田は最寄り駅だが、それでも意外と大和川は遠かった。
まだ真夏の陽は高いが土手に上ると川面を渡る風が涼しい。
ちょうどすぐそばの近鉄の鉄橋を真新しいツートンカラーの電車が渡っていく。
これを描こう。
描き始めた貞夫を後ろから早苗が笑う。
電車の絵だなんて、まるで貞夫さん、こどもみたい。

うるちゃいな!いままで隠してたけどオレ、めっちゃ鉄ちゃんやねん(大糞核爆)!

電車の向こうに陽が沈もうとしている。
画の道具を片付け、ふたたび電車に乗って北田辺に戻った。
駅から送り届ける途中、早苗は
こんどはいつお目にかかれるのかしら?
と恥ずかしそうに貞夫に問う。
来週も来るさ、もう少し画を進めなくちゃあいけないからね。

次の週、貞夫は来なかった。
日曜の翌日からずっと熱を出し、銀行にも出られず岡本の家にいて結局日曜は早苗が神戸の貞夫を見舞うことになった。
結局、あの画は自宅で療養しながら仕上げを進め、翌月29日の金曜の夜ようやく完成を見た。
早苗に贈るつもりのキャンバスの裏には「さんざん歩かせてスマン」と認めた。

翌昭和28年、貞夫26歳、早苗23歳のときふたりは結婚。
岡本の貞夫の家の庭に新築した離れに居を構えた。
2年後の昭和30年、待望の長女、たま子が誕生。
しかし、幸せは長くは続かなかった。
早苗は厳しい貞夫の母と衝突を繰り返した果てにたま子を連れて北田辺の実家に帰った。
その心労からか、早苗は昭和34年、29歳の若さで急逝する。
しばらくは北田辺の祖父母に面倒を見てもらっていたたま子だったが進学するにあたって、京都紫野の寺に嫁入りしていた早苗の妹夫婦に育てられることとなった。
そしてその後貞夫も以前から患っていた肺炎をこじらせ昭和38年36歳で他界した。

たま子が紫野の高校に入ると「おまるちゃん」という奇妙な仇名のクラスメートがいた。
たま子は学校が終わるといつも「おまるかくばく~」と叫びながら山陰線の二条駅に汽車の写真を撮りに走るおまるちゃんを見て、やはり鉄ちゃんだったおぼろげな父の姿を思い出すのだった。
時は流れ平成元年、いまは貞夫の姉夫婦が暮らす岡本の実家をマンションに建て替えることとなった。
そのとき解体される母屋から出てきた貞夫の残した画がたま子に譲られる。川を渡る電車の絵。
この画のことはたま子も忘れていたのだが、この春、孫ができる段になり急にこの画の場所が無性に知りたくなった。
キャンバスの裏には大和川にて、さんざん歩かせてスマン、と認めてあるが大和川にはたくさんの鉄橋がある。
さて、これはどこなのだろう。さんざん歩かせてスマンとは誰に宛てた言葉だったのか。
秋になって、たま子はみなが還暦を迎えたことを記念する久しぶりのクラス会に出ることがあった。
再会したおまるちゃんをみて思い出したのはやはりあの山陰線へ走ってばかりいた姿だった。
そう、鉄ちゃんのおまるちゃんならわかるかもしれない。
クラス会がはじまってすぐ、たま子はおまるちゃんをつかまえてその画の話をした。
おまるちゃんは「電車の童貞× 同定はオレにまかせろ、Densha no Dotei ha Oreni Makasero!DDOM DOM DOM ドドンドンドン!!しょーもない脱法鉄ブログやってる核爆野郎がきっと特糞最前立腺を張ってくれるぜい!」とわけのわからぬ答えを返した。


きっとそんなところだ。
(出典: 犬宰治 本日はお日柄もよく(糞爆))


2016年10月6日。
ぼくはその日1952年(昭和27年)7月27日に貞夫と早苗が歩いた道を歩こうと思った。

写真 1
早苗の家に着く前の貞夫の行動。阪急から御堂筋線に乗り換え、天王寺に着いた。
ご存知のとおり、この駅は構造から照明器具に至るまで開業当初のままだ。
貞夫もこのホームに降り立った。

写真 2
地下鉄御堂筋線の改札を出て、近鉄南大阪線の駅と一体となる近鉄百貨店の方を向く。このあたりの風景はつい先年のあべのハルカスの誕生で一変している。

写真 3
さらに左折して、近鉄乗り場へ向かう階段。
この階段も向きもなにも変わってしまった。
その階段を上りきるかどうかのところで貞夫は冷菓を梅田で買いこんでしまったことを後悔する。

写真 4
階段を上りきって近鉄の改札の方を見る。

ここで天王寺駅前交差点の歩道橋の上から地上の風景を確認してみよう。
写真 2
まず、北を向くと国鉄天王寺ステーションビル。
外装こそ替えられ、名前もmio、と変えられているが建物自体は古いままだ。
それでも竣工は1962年であるから貞夫はこの建物を見てはいない。

写真 1
南を向けばおなじみの阪堺電車上町線天王寺駅前駅。
上町線は大阪市電天満橋南詰まで相互乗り入れを行っていたが、それは明治年間で解消されており、この駅は1952年当時もほぼ同じ風情で存在していたと思う。

そして視線をやや左へずらす。
写真 3
写真 4
そう、天王寺駅前交差点の南東角にこれまでの近鉄百貨店に代わって建設されたのがあべのハルカスである。

写真 1
話を近鉄阿部野橋駅に戻そう。
近鉄は大阪市内、難波、上本町、阿倍野橋からそれぞれ名古屋へ、奈良方面へと伸びるが、ここ阿倍野橋から出て、吉野を目指すのが南大阪線。狭軌であることが難波、上本町から出る大阪線とは異なる。
なお、阿部野橋駅は国鉄や地下鉄でいえば天王寺駅とまったく同じ意味しかない。
国鉄大阪駅周辺の各私鉄線駅が梅田と称するのと事情は同じ。

写真 2
貞夫が乗っただろう、普通電車に乗る。
もちろん、電車は一変している。
駅構内は1939年の新築時の構造が残っているのか、それとも1957年(昭和32年)の村野藤吾による改修時のものか、それともハルカス建設時など、数え切れないいずれかの百貨店改造時のものなのかよくわからない。

写真 3
2駅で早苗の実家、北田辺に着く。
貞夫はここで降り、早苗の家へと歩く。
そしてしばらく早苗の家で過ごし、今度はふたりでこの駅から電車に乗り込む。

写真 4
そして3駅目が矢田である。
ぼくがこどものころは阿部野橋からずっと地上線だったのを覚えているけれど、矢田駅も当時とはまったく違う風情なのだろう。

写真 1
電車を見送り、地上へ。

写真 3
駅を振り返る。鉄道を高架にすると駅は本当になぜこんなに殺伐とするのか。

写真 2
駅前には闇市がそのまま残ったような短い商店街があるが、このアーケード自体は1952年にはまだなかったデザイン。

写真 4
大和川を目指す。
周辺は昭和20年代後半~30年代初頭に乱立した木造アパートが今だ密集する。
貞夫と早苗もこの長屋あたりは見て歩いたかもしれない。

写真 1
10分ほど南へ歩くとさらに殺伐とした風景が広がる。
1棟だけ建っているがこれも昭和40年代に計画した大阪市営団地の残骸だ。なにかの理由で途中で建設を放棄した。
右手に近鉄南大阪線の高架。
正面にはいよいよ大和川の堤防が見えてきた。

写真 2
でっかいどー、ほっかいどー?

写真 3
写真 4
ココハオキナワ?監獄ビーチ!

いえいえココハ!
写真 1
大和川!

写真 5
堤防に登ると急に風景は広がり、川面を涼しい風が渡る。

写真 2
しばらくいくと踏切。
西から東へ、踏切を渡る。

振り返れば!
DSC_3940.jpg
ラビットカー!

そして!
DSC_3947.jpg
青の交響曲!

そして!
IMG_20161002_055234.jpg
南大阪線急行用昭和25年新造車モ6801形(後に6800系登場に際し6411形に改称)!

この絵が描かれたのはいまから64年前のまさにこの場所でしょう!
橋脚も橋桁も、架線柱も、まるっきり昭和27年当時のまま!
向こう岸の植生が変わっているのは64年の歳月。
鉄道橋のむこうにちらりと見える道路橋だけは架け代わって橋脚の数を減らしている。

しかし!
この絵には奇妙な位置に信号機が見えます。検証してみましょう!

DSC_3911.jpg
ひ?

DSC_3958.jpg
ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい~~!

信号はいまもあるものの、その向こうの植生に覆われて見えなかった部分にまだまだたくさんの橋脚があります!
まるっきり絵の橋脚の配置とは違います!


そこでみなさんの推測を見ますと、ボクと同じ、南大阪線矢田=河内天美間と同定したのはあの、hideta-oさんだけ!
hideta-oさんの実直かつ、精緻な思考は以前から存じあげているので
やっぱ、さすがhideta-oさんやなー、オレと同じ推測やなー、
どっちみち絵やからなー
あっち岸の橋脚の2本や3本、省略するよな~(大糞核爆)

と勝手に納得!

超駄菓子!

あの、絶対こういうことで間違いを犯すはずがない怪鳥うず爺さんの回答を見ると!
(←怪鳥うず爺さんのコメント)

ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい~~!

さっそく、グーグルマップで調べてみました!
うっわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ~~!

ここであまたある大和川鉄橋を消去法で考察します。
まず、大阪平野部で最上流の大和川鉄橋は近鉄大阪線。
それより上流は山岳部となり、まるっきり絵とは異なる風景。
奈良盆地に入ってもさらに大和川は上流へ延びますがすでに川幅を大きく縮め、これも絵とは異なりますので
結局、大阪平野にある、下流から順に南海本線、阪堺線、南海高野線、JR阪和線、わたしが推測した近鉄南大阪線、そして近鉄道明寺線、近鉄大阪線の都合7箇所が候補。

まず、現JR阪和線にはこんな電車はありませんでした。
南海の3本は本線、阪堺線、高野線共通設計の赤い鋼管製の橋脚を持つ鉄橋でコレももちろん絵と全然違います。

(南海高野線参考写真 阪堺線も同じ設計、南海本線も当時は同じ設計)
DSC_7992_20161012072104bd6.jpg

ここで近鉄の3線に絞られます。

最後の最後までhideta-oさんとオレのふたりだけが推測した南大阪線が正解かもしれないとも思ってましたが
最後の決め手は光線。
画の電車の正面に陽が当たっています。
風景画を描く人が光線を間違えるはずは有馬温泉。
すなわち、電車の正面が南。
そして電車の正面が南なら、西向きとなる側面は逆光で陰になっています。
すなわち、この絵は午前中に北東方向を向いて描かれたことを示します。

まず、大阪線の大和川鉄橋。
道路橋との関係から手前が南となり、光線は絵と合致する上、
あのツートンカラーの特急用2200系増備車2227形が昭和14年から新造されていて俄然可能性は高まります。
しかし、2本足の橋脚や幅の広い架線柱の形状が絵と異なる上、特に向こう岸の橋脚の配置も絵と全然違います。

つぎに私が推理した南大阪線。
橋梁のデザインや川の情景は酷似するものの、橋脚の配置がぜんぜん違う!それ以前に方角がまったく逆!
西側に平行する道路橋が鉄橋の向こうにあるので、電車の正面が北側となり、絵を描いた時間帯を問わずぼくが撮った写真のように電車の正面は真っ暗になります。電車の正面に陽があたる絵の光線とはまったく違います。あかんやんけ!

そして最後に残ったのが道明寺線。
鉄橋や架線柱の形状、配置、電車への光線の当たり具合と人道橋との関係から推測される方角のすべてが絵と一致!
絵である限りは画家の恣意性も考慮する必要があるでしょうが、ここまですべてのモチーフが偶然一致することはないでしょう。

だから答えは!
近鉄道明寺線
柏原南口=道明寺間
道明寺(藤井寺市、大和川左岸)側から柏原南口(柏原市、大和川右岸)を向いて。
方角は北東!
電車は昭和25年、絵の描かれた2年前に登場したツートンカラーの南大阪線急行用新造車モ6801形!


大和川近鉄地図
ココです!


ただ、いくつかの疑問点が残ります。
まず、謎の信号機。
これは信号システムの変更などによる撤去も考えられるけれど、確たる証明はできていません。

つぎに背後の山。
現地の山はもっと電車の背後まで伸びているように思います。
これは絵を描いた位置が川原の低い位置であり、見上げることにより山が電車の背後に隠れるような角度があるかもしれません。

また、橋梁の橋脚の高さと橋桁の長さのバランスも少し違います。
どちらかというと絵は南大阪線のプロポーションに近く、橋脚が高くなっているように思います。
これは絵ゆえのデフォルメでしょうか?

そして最大の疑問が電車の形式。
新造2年後のモ6801形急行車を道明寺線運用に回したでしょうか?
これも消去法で恥ずかしいのですが、
モ5820を名古屋線から持って来て「かもしか」号として運用したのは昭和35年以降。
また、木造車を鋼体化したモ5801形が登場するのも昭和30年のこと。
絵を描いた昭和27年には存在しません。
消去法ではモ6801、となるのですが
地元、かつHNから超オーソリティなはずの吉野線のシェルパさんもその点に疑問をお持ちです。
しかも、モ6801形がいったん改軌の上、モ6411形として名古屋線へ転籍、その後南大阪線に戻ってきたときは阿部野橋寄りがパンタ位置で絵とは異なる。
この点については奇車怪社さんが疑義を唱えられています。
モ6801形は途中で片運化など大規模な改造を行ったうえ、上記のとおり名古屋線への転籍経験もあり、その間に改造もしくは方転が行われたと都合をつけるしかありません。

そこで急浮上するのが大阪鉄道デニ501から改造された当時でもすでに古豪であったモ6601。
ちょうどこの頃、3ドア化・グリーンの濃淡ツートンカラー化が行われています。
しかもこちらであれば、パンタ位置も絵の位置で合致します。
だんだん正解はこちらのような気もしてきました。

いずれにしてもこのあとも、上記のような疑問についてもう少し調査分析を深める必要があるかもしれません。



昭和27年7月27日日曜日(曜日、天候調査済み)、
貞夫が神戸・岡本の家を出て阪急電車に乗ったのは午前8時前だった。
梅田で地下鉄御堂筋線に乗り換え、天王寺に向かう。
9時に待ち合わせの国鉄の改札にはすでに早苗は二人分のお昼の弁当を用意して待っていた。
関西線の列車に乗り込んでふたりが柏原駅に着くのは9時半ころだった。
20分ほどの車中、ご機嫌の早苗はなんどもなんども同じ歌を繰り返し狂ったように歌っていた。
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)

ちょうど停車していた道明寺線の電車に乗り換える。柏原南口まではほんの短い一駅。
駅からすぐの人道橋で大和川を渡り、左岸の川原を歩いて、ようやく構図が決まった。
北東向きの風景はやや逆光気味だが、真夏の陽は強く、向こうの山、そして電車の正面を輝かせるには十分だ。
絵を描き始めたのは午前10時すぎだった。
早苗の持参した弁当を川原の木陰で食べ、午後3時には筆を置いた。

帰りは道明寺か土師ノ里まで歩こう。

点在する遺跡や古墳を散歩しながら、近鉄南大阪線の土師ノ里の駅に着いたときはすでに5時を回っていた。
さんざん歩かせてしまったな。
少し貞夫は後悔しながら、ふたりは阿部野橋行きの電車に乗り、北田辺の家まで早苗を送り届けた。


・・・・というワケで!
得点票
(方角については正確には東北東が正解になりますが、選択肢に用意がなかったため、北東、東ともに正解とします)

場所の同定をいただいたのは

・みかんさん
・吉野線のシェルパさん
・あませんさん
・まぢにゃん@松本さん
・抹茶坊主さん
・たけしたさん
・怪鳥うず爺さん
・奇車怪社さん


以上、7名のみなさん!
ただし、まぢにゃん@松本さんとたけしたさんは向きを間違えてますがっ!
ありがとうございました!
ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪

また、たった1点獲得ながら、午前10時と時間の特定をいただいたHi-Zさん、
画家のデフォルメに言及した結果、2点にとどまったみかんさん、ありがとうございます!
それよりなにより、
画家の深層心理、鉄の性癖にまで踏み込み、深く洞察した挙句0点に沈んだ武庫川警部さん、誠に不謹慎で恐縮ですが笑わせていただきました(糞爆)!

そして最後に、以下の3名の方々は車両形式に至るまで、完璧なお答えをいただきました!

・抹茶坊主さん
・怪鳥うず爺さん
・奇車怪社さん

ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪

完璧正解者のみなさんには名人賞として西条凡児さんより、ヒガシマルうどんスープの素1年分を進呈します!


とにもかくにも、わたしひとりの推理では危うく間違えてしまうところでした。
やはり、みなさんの推理をお伺いして本当によかったと思います。みなさん、本当に推理へのご協力ありがとうございました!
みなさんのおかげでおまるちゃんのおともだち、たま子さんのご両親の思い出を取り戻すことができました!
また、超長駄文におつきあいいただいた読者のみなさん、ありがとうございました!
そして最後になりましたが、おまるちゃん、たま子さんになにとぞよろしくお伝えください!

今度、大阪へ行ったら、正解の柏原南口から土師ノ里まで歩いてみたいと思っています。
そのときにまた!
チャオ!

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コメント

恥ずかしながら・・・

近鉄のクリームと紺色のツートンは特急専用色だと思い込んでいて、南大阪線6801(6411)系の存在も知りませんでした。知っていたらあんな余計なことは考えませんでした(核爆)

調べてみると、幅の広い貫通扉が印象に残りました。

心臓に悪かったわ

ありがとうございました。文芸大作ちょっとこういうのは他所では見れませんな。後ろに見える橋は水道管か何かのようで、航空写真で見ると道明寺線の横にあるのがわかりますね。グーグルマップでは道路しか出ないようです

見間違いかな

前文で水道管かもとかきましたが、人道橋かもしれませんね。乗ったのは20年くらいまえですからその辺は覚えてません。しっつれいしましたー。(ぼんはやと爆)あんまりしゃべるとボロが出ますね。

久々の文芸ブログ

読みごたえあったわ~
851のオデコ削りながら小説書いてる犬宰治の姿が目に浮かびます!
そのうち、妄想鉄小説コンペ始まるかもしれんね。

よくぞここまで

 1枚の絵のために現場まで検証に行くなんて、どこまでヒマ並みの人間にはできないことです。
 橋脚の形から南海ではないと思ったけど、パンタがだいぶ中央寄りなので、南海の1201かなという引っかかりもありました。写真と違ってデフォルメや省略があるし、鉄目線ではないからポイントを掴みにくいですね。

畜犬談

みたいないい小説でした。

なるほど、南大阪線6801が、かもしかより前にその色とは知らなかったです・・
気になる信号機は、塗装的にはオールブラックの南海仕様ですが、それは背景との逆光で黒くなるとして、リポートでは踏切表示灯、この下部に器具箱が付いていたことはないはずだし、閉塞区切りが変わって移設されたのか、そこも真相を知りたいですね。

凄いドキュメント

素晴らしい小説。

場所を特定するよりも、小説を書く方が脳を使っていますね。

信号機の件は、昨日のブログのコメントで妄想いたしましたが、真実が知りたいすね。
当時25歳だった人も、今年は89歳、ご存命の方も多いでしょうが探すの大変すな。





無念です〜〜

実は、回答ボタンを押してから右岸と左岸を間違えてることに気がつきました…。
無念であります。。。
それでもまぁ、1点頂きましたので。
ありがとうございました。

ところで、締めの一文が気になったのですが、土師ノ里駅はワシが幼稚園に行くか行かない頃に新設されたので、昭和27年当時は存在していません。
(工事しているのを覚えてます。)
なので、帰りは道明寺駅から電車に乗ったものと考えます。

う、うどんスープ・・・

一所懸命読みました。
新人の頃の担当地域の端っこだったんで、あの場所はカブ走らせてタバコ休憩してた所なんです。オーソリなんかじゃないですよ。

6411は作ったのになぁ。私が見たころは既にマルーンでした(黄色の帯を巻いた同系の荷電も道明寺で寝てました)。
ウソでも答えておけば「黄ぃそば」1年間食べられたのになぁ(こらぁ

  • [2016/10/16 23:54]
  • URL |
  • 吉野線のシェルパ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

大鉄デニ501が

2トーンカラーだった時代があったとは知りませんでした。
腰高で窓が小さく屋根も深いスタイルは、関西の電車の中でも、いかついだけでかなりかっこ悪い方やと思うんですが、わざわざこれを選んだわけですね。
ほかにもっとカッコええのあるのになぁ。

  • [2016/10/17 00:55]
  • URL |
  • 尼セン阪鉄車輛
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

みなさん、ご協力ありがとうございました!

ご回答いただいたみなさん、コメントをいただいているみなさん、ありがとうございました!
ぼくもこの2週間ほど、このことばかり考えてました!自分自身がいちばん楽しめたのかもしれません!
おまるちゃん経由で「たま子」さんからもお礼が届きました!
みなさん、ほんとうにどうも、ご協力ありがとうございました!

そうやったんか(核爆)・・・・

みかんちゃん、
いやー、万にひとつの推測と言うか、ヒトの脳みそに入り込んだ妄想を企てるなー!と感動してました。
残念でした(大糞核爆)・・・・

人道橋のようですよぅ~

抹茶坊主どの、
まずは大正解、おめでとうございます!
鉄橋の向こうは人道橋のようです。
「本日はお日柄もよく」、ノーベル文学ショーもんでしょ(大糞核爆)?

ひー

健太郎T兄、
「本日はお日柄もよく」、ノーベル文学ショーもんでしょ(大糞核爆)?
ご高覧、ありがとうございました!

>妄想鉄小説コンペ

なんでもコンペにすりゃええっっちゅうもんですね!
やりましょう!
犬宰治文学ショー(大糞核爆)!

遭難です!

モハメイドペーパーさん、
ぼくもパンタ向きや色から、ぱっと見たとき南海1201と思いました!
でも、スグに南海の赤い鋼管橋を思い出したところが武庫川警部との違い。
結局間違えましたが(大糞核爆)・・・・
あと、たしかに写真と違い、描き手の意思、恣意性が入り込む絵はむずかしいですね。
みかんちゃんや武庫川警部のそのあたりに踏み込んだ回答はおもしろかったです。

すべてはヒマのなせるワザ!
そのとおりです(大糞核爆)・・・・

残念ショー

ゼリーちゃん、
「本日はお日柄もよく」、ノーベル文学ショーもんでしょ(大糞核爆)?

信号機は依然なぞですねー。
当時の写真を探してみたい!
このシリーズ、まだ続くかもしれんですねー!

流れる石と書いてさすがです!

怪鳥うず爺殿、
「本日はお日柄もよく」、ノーベル文学ショーもんでしょ(大糞核爆)?

多くの方から「道明寺線」の答えが返ってきていましたが、いやいや、コレは南大阪線、と目出度く考えていましたが、さすがに怪鳥の回答がアレで再検証した次第。
ありがとうございました!
信号の件はお説のとおりでしょうね。
でも、証拠がない!
もうちょっと調べたいです!

はい

まぢにゃん殿、
ここで上流下流を貴兄が間違えるハズはない、と少々不思議でありました!
私信もありがとうございました。
お調べ直していただいたように土師ノ里駅は大阪鉄道時代、大正年間に開業しております。
ノーベル文学ショー候補でありますから、文中出てくる地名、駅名、線名などは一応すべて歴史を調査して書いております(大糞核爆)。

吉野線のシェルパさん、
オーソリに一生懸命お読みいただき公営× です!
6411作った!?
そうでしょうね・・・・
なんでウソでもお答えにならんかったんですかー!
うどんスープ・・・・
黄ぃそばに転用するところがワザ師シェルパさんらしい!
オレもそれ食いたかった!
残念(核爆)!

・・・っていうか

尼センちゃん、
そうそう、わざわざあのデニを改造したのが6601。
でも、なぜコレをツートンにしたかは実は逆で、あまりにかっちょ悪いからせめて色だけでも、と考えたのデハ?と思いました。
でも実は今回いろいろ調べていてボクは6601が好きになってしまいました(大糞核爆)。

さすが師匠!!

すばらしいやないケー 弟子としてうれしいぞー
この圧倒的ボリュームの名作、何度も読みたいから更新せんと2〜3日このままおいといてんかー 
ほなっ

今日は

おー!ありがとうー!
そうですね、この名作はしばらくトップにおいておいたほうがいいですね♪
でも今日は17日です(糞爆)。
その手にはのりま温泉(大糞核爆)!

初めまして

初めまして 楽しく読ませていただいております。 撮影方向ですが 川の曲がり方と 背景の山から西方向と判断しました。子供の頃 この鉄橋を渡って道明寺へ初詣にいったことがあります、またこの下で泳いだこともあるので~~ またよろしくおねがいいたします。
柏原駅から汽車で湊町まで帰った記憶があります~

やはり南海では無いような気がしていました。隣の橋は人道橋です。丁度向こう岸から昭和44年に撮っていますので夜にでもワンワンさんにメール添付します。フイルムスキャンしなあきませんので。ツートンにしたのをここに入線させたのが合点がいきませんが。確かに鋼体化したときカモシカ用に塗っていましたね。

文芸糞大作を

ほんとうに有難うございました。
たま子さんからも、くれぐれもよろしくとのことです。
西村京太郎賞と宮脇俊三賞の総ナメですね。

こちらこそ!

たけしたさん、
はじめまして!
ご回答に続き、ごていねいにコメントもありがとうございます!
そうですか!?この付近に思い出がたくさんあるんですねー!?
向きは残念でした。でも絵ですからなんかのデフォルメが行われていたらもしかすると西向きかもしれませんよね・・・
こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

うーん

マスオさん、
南海、ってコメント欄に書いてたのはマスオさんでっせ(核爆)・・・・
人道橋やと書いたのはオレだし(大糞核爆)・・・
昭和44年ころって、なぜかここの架線柱の形が違うんですよね・・・・
そこはもうちょっと調べたいところです。

信号機

昭和44年頃の画像で、信号機の位置のガーターにアングルが取り付けられているのを見つけました。

橋梁全体を調べても、謎のアングルはその場所にしか無い。

避難場所と仮定した場合、橋梁の延長からして1か所とは不自然ですし柵が無いのはあり得ない。

妄想ですが、その上に信号機が取り付けられていたのか・・・・・

まだまだ先の長い小説になりそうですね。


ありがとうございました!

おまるちゃん、ありがとうございます!
たま子さんのお役に立てて公営×です!
でも西村京太郎賞や宮脇俊三賞はいりません!
ほしいのはノーベル賞だけです!ノーベル賞を取って、日経新聞で幼少期のジマン話を吹きまくった上、おまえらもはやくオレみたいな立派な幼少期を過ごしてオレみたいにエラくなれよとぶっコキたいのであります(大糞核爆)!

いろいろなぞが!

うず爺殿、
ぼくもそのアングルっていうかバスケット、見つけてました。
で、さらに!
現在は架線柱の下流側のみ上へ伸ばされて送電線を張ってるけど、昭和の後半は下流側の横に張られ、架線柱の高さは上流側、下流側同じになっとる!
しかし、この絵は現在と同じく下流側が伸ばされとる!
そんなもん、脱着できるんか!?
あーわからんようになってきたー!

パンタの向きと信号機

初めまして。奇車怪社と申します。
毎日、貴ブログを覗き見させていただいております。今回は楽しませていただき、ありがとうございます。
関西色の濃厚な皆様の前で、ポンコツ関東鉄が全問正解してしまったので、ややコメントしずらいのですが・・・。
回答に当たりパンタの向きと信号機について疑義ありとさせていただきました。
車両は塗り分けより6801形と考えましたが、やはり、新製後2年のまだ新車が道明寺線に運用されるのがあったのかしら???の疑問が残ります。
ご存じのとおり、6801形は狭軌の名古屋線に転属後、S34の改軌で南大阪線に帰っています。車両の向きは特に電車では電気連結ジャンパと空気管(BP並びにMR管)の配置から方転すると改造が伴いますので、わざわざそのような面倒はしていないと考えるのが順当と思われます。(国鉄型の両渡りは別として)
橋梁や土手などはそれを見ながら絵筆を使えますが、走行する列車は一旦記憶の上、思い出しながらの描画ですので、パンタは電車の印として後からテキトーに書き加えたのではないでしょうか。(テキトー人間の私ならそうする)
信号機はまったくの蛇足と思われます。
単線の道明寺線が一閉塞ならば閉塞信号機は不要のものですし、2閉塞としても中間地点に上下方向に信号機が2基向かい合うのが普通で、大和川の南側が適所ではと考えます。柏原駅の場内信号機としても向きが逆です。まして橋梁上の橋脚以外の場所に信号機を建てるのはあり得ないと考えます。

アッ、これらの謎解きをブログのネタに狙っておられたましたら、空気を読めない関東武士の戯言としてご容赦くだされ。
長いコメント失礼しました。

今後ともよろしくお願いいたします。

文藝大作

どうも、賑やかしです(爆
しっかり仮定検証実証を経ないといけないというのがよくわかります。皆様お詳しいですね。
近鉄ツートンは大阪線しか居ないと思ってました>関東モノ


はじめまして!

奇車怪社さん、
こちらでははじめまして!
私信もありがとうございました!
推理合戦なので、地図さえあれば特に土地勘なくてもお楽しみいただけたのではと自画自賛中(糞爆)。ましてやいまやグーグルマップもありますから!
さて、まず電車。ぼくも風景とは違い、いったん記憶が必要な電車ゆえの間違いである可能性もあるかと思います。
でも、当時もきっと1本の電車の往復ですから次に来たときに確認できる。
でも本文中にもあるように6801ではなく6601の可能性の方が高いのでは?と考え直しています。
信号は謎ですねー。
たしかに橋脚以外のところに立ってますからおかしい。しかも架線柱に隠れるような場所ですもんねー。絵のバランス上、ここにナニかが欲しかったのかもしれません。
でも、現在は柏原南口の出発信号がこの向きに立っています。もちろん、駅を出てすぐのところなのでぜんぜん場所は違いますが。
さらに、架線柱について、なんとなく絵のものは偶然現在の形に近いのですが、昭和の時代のものとは違う。
向こう岸の川原の高さ、すなわち橋脚の露出の仕方も絵はなぜか現在と同じですがこれも昭和の時代は橋脚がもっと川面まで露出している。
等々、いろいろと矛盾が噴出中!
でも場所はここで間違いないと考えています。上記の矛盾、時間をかけて解きたいですねー!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします!

あ。

賑やかしさん、キター(核爆)!
ぼくも今回調べるまでぜんぜんこのあたりの電車は知りませんでした(大糞核爆) >インチキ関西人

踏切動作反応灯

柏原南口に建植されている信号機は、踏切動作反応灯と言うものでして。

当該踏切の遮断機が正常に降下してますと知らせるモノなんです。
降下不良の場合は左右に並んでいる赤いランプが点灯して異常を知らせる動作をします。

架線柱の脱着については出来るそうです。

無準はさておき、暫く妄想の世界にハマっておきます。

ひー

おはよーございー
わかってきたぞー!
前記事への怪鳥の信号解説、アレって道明寺向きの第1閉塞、第2閉塞と柏原向き第1閉塞、第2閉塞の区間が違う、すなわち奇車怪社さんおっしゃるように普通は区間が同じで閉塞信号は同じ位置に背中合わせだけど、出発間隔の短縮のために信号機の位置を上下方向でずらしてたかも、ってことですね。
理解遅くてスミマセン!
さらにすなわち柏原出発後3分の位置がこの鉄橋上。道明寺出発後3分の位置は川の左岸。
問題は橋脚外への信号設置の可否!それに架線柱に蹴られて見えにくい位置に絞られましたねー。

架線柱は脱着可能で問題解決。

あとは向こう岸の土手の脱着!
いよいよ本丸に!
もうちょっと妄想の世界へ戻るのは待ってください(核爆)!

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