玉電の跡(1) 瀬田編 

写真 4
環八瀬田交差点の歩道橋から東方、すなわち渋谷を向いて写真を撮りました。
左右を横切るでっかい道が環八、正面やや右方に伸びるコレまたでっかい道が国道246号線。オリンピック道路。都心部では青山通りとなります。
そして画面左端の超高層ビルに向かってやや小さめの道が妙な角度で伸びているのが見えますね。

写真 3
そのやや小さめの道に向かって写真を撮りました。
正面の超高層ビルは世田谷ビジネススクエア。すなわち東急田園都市線用賀駅前に建ってます。
そう、この小さめの道こそ、玉電の線路跡!

玉電。玉川電車。東急玉川線となってからも玉電とよばれていました。
昭和44年に渋谷~二子玉川間が廃止。
二子玉川からの支線、砧線もそのときすでに廃止になっています。
現在残っているのは途中三軒茶屋から枝分かれしていた世田谷線のみ。
ここは「残った」というより、いまさらに血気盛んに走っております。

続いて同じ場所から西方、すなわち二子玉川方を見てみましょう。
写真 5
中央に伸びるバカでかい道が渋谷から続いてきた246号線。
いちょうの色づきが見事ですね!


・・・・・


そう、コレも去年の撮影です(大糞核爆)!
今年はまだこんなに色づいてません!


で、その左側のいちょうの木の左側にまた小さな道が伸びているのが見えるでしょうか?

写真 2
さっきと同じように小さい道に正対して撮った写真です。
ほぼ、さきほどの玉電跡の道と同じ角度で246号線から分かれていっています。
もちろんコレがさっきの用賀から来た道が瀬田のでっかい交差点を横切って直進する玉電跡。
ちょうどいちょうの木のところに瀬田の駅がありました。

ここで地図ですよ!
スライド1
赤い線が玉電のルート。渋谷から駒沢までは一貫して246号線上を、そして駒沢を過ぎて、北へずれ、再度二子玉川直前で246号線をまたいで南側を進んでいました。

二子玉川直前の赤い四角を拡大します。
スライド2
右下から左上に伸びる黄色い道路が環八。
右上から左下に伸びるのが国道246号。
赤い四角Aの中央に位置するその交差点が環八瀬田交差点!
すなわち上の写真の場所です。

さて、この交差点、もう一本、黒い線がほぼ真上から真下へ伸びています。
地下ですから写真には写りませんが、この黒線が現在の東急田園都市線のルート!
そしてその真上が写真のへんな角度の小道、すなわち、玉電跡ということになるのだー。
すなわち、田園都市線は「新玉川線」と呼ばれていたとおり、玉電跡を正確にトレースして建設されたのだー。

今夜はさらに地図Aの赤い四角を拡大してみましょう!
スライド3
右上の赤い丸1番がさきほどの環八瀬田交差点。
このでっかい交差点に妙な角度でさらにむかし玉電が横切っていたことがわかります。

瀬田交差点から線路跡に沿って赤い丸2番の方向、すなわち二子玉川に向けて歩いてみます。

写真 3
赤い丸2番の中央やや下にまた妙な角度で左へ分かれる道があり、どっちが玉電跡かわからない感じですが、今度は右が玉電跡。
この道、赤い丸の部分だけ2本になっているのが地図でわかるでしょうか?
この2本の道の真ん中は公園になっています。
写真 1
コレがその公園。瀬田交差点方を振り返っています。
この公園こそがリアル旧線路敷き!

それはそうと公園の左側に青いヘンなものが見えますね・・・・・

写真 2
玉川で捕獲され、一瞬だけ一世を風靡した、アザラシのたまちゃん像に勝手に服が着せられていました(大糞核爆)!

さらに二子玉川に向けて進みましょう!
西向き
前方に二子玉川の街並みが見えてきました。こちらがわが相当な高台になっているのが確認いただけると思います。
瀬田の断崖であります!
さて、右側に架線柱があるのが見えますね?

東向き2
振り返ったところ。
今度は左側が怪しいです。

そう!

写真 12
急坂で擦り合わなくなって、とうとうここで田園都市線は地下から顔を出す野田阪神~!
トンネル上部がさっきのたまちゃんの公園です。

二子玉川方面へ振り返れば!
写真 1
写真 2
写真 3
写真 4
8500系、キターああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ嗚呼嗚呼~~!
・・・・というオチです(大糞核爆)、、、

玉電時代はここからさらに激しい、「行善寺坂」が二子玉川へ向かって待ち構えていました。

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コメント

そもそも

玉電があった頃って、環八あったのきゃ?
微妙だなぁ、第3京浜ができた頃、玉電が消えたんだっけ?
用賀に抜ける道は一時、東急がバス専用道路として使っていた様な記憶も・・・

これが上ってことは、下はマークシティにワンワンマーキングってオチになるのかなぁ。

おいー

さすが、環七沿いのシティーボーイは違うな!
環八は全通こそ遅かったが、前身の「玉川村幹線道路」は昭和4年にはできてた。
第3京浜は昭和40年だ。
玉電廃止の44年には瀬田は立派な交通マヒの要衝だった。
環八+246のでっかい交差点を逝く玉電の画像は山ほどあるでよー。
下は二子玉川です。たいしたことはありません。そのうち続編で渋谷もやりたいなー。

失礼しました

環八はそこらじゅうブチ切れていたから・・
大田区内の下丸子界隈なんて、小生が免許取った頃でもまだ開通していなかった。
二子玉川編、期待しています。
さすがに大井町線併用軌道の跡なんてのは、影も形もないんでしょうね。

どないしたー!

どえりゃー謙虚やないカー嗚呼嗚呼嗚呼~~!
二個玉変なんか期待すんなよー(糞爆)!
二子橋の欄干はそのまま加工して使ってるし、碑もあるけど軌道の跡はさすがにないなあ~!

玉電の写真なら

 廃止間際に撮りだめしたのが、印画紙の箱(キャビネ50枚入り)1箱分はありますよ。
 瀬田から二子玉川に下る玉電の線路は、40‰の勾配でした。
 多摩川を併用軌道で渡る大井町線の写真、私のブログの最初の方に出しています。

それは・・・・

モハモハちゃん、
それは第5モハモハは玉電、っちゅうことになりそうな勢いじゃあないですカー嗚呼!
困ったなあ(核爆)~
行善寺下への坂、40‰でしたか。長く続くからちょっと電車もたいへんだったですね。

でましたね~

究極のご近所ネタ!用賀~瀬田のあの道に偏って敷かれていた軌道は否かムード満点でしたね。二子の手前のラブホ(あるんですよ!)の後ろが砧線のカーブに沿っているのブログネタにしようと思ってました。

わーわーわーわー

トニーさんスミマセン!
二子玉川イン裏のカーブ、今夜のネタです(糞爆)!
すんません~~!
でもあれってやっぱラブホなの?

たま電車

おおっ!
1周忌ネタ連発ですなあ〜!
モハモハたまでんやるならエントリーします!
って言うか、もう出来ています!
終末はヨロピクお願いしますぅ。

ちゃうやろー

おっちゃーーーーーーーーーーん!
たま電車ちゃうやろがー(かくばく)!
おお!
デハ、決まりですね!
第5モハモハはたま電車(おおくそかくばく)!
デハ、明朝!

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