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金魚鉢が走った第4の線区、尼崎海岸線 

さて、その金魚鉢こと阪神71形は一般に「阪神国道線」の電車ですが、国道線のほか、国道線の大阪方終点野田から天六へ伸びていた「北大阪線」と大阪と神戸の中間、上甲子園から浜甲子園(一時中津浜)までの「甲子園線」の都合3つの併用軌道を走っていました。

駄菓子菓子(糞爆糸目姐さん)!
実は昭和37年まで、阪神本線出屋敷から海岸の工場地帯へ「海岸線」という線区があり、ここにも金魚鉢が走っていたのです!
しかも、終点高洲方の国道線車輛同様のYゲルに加えて、出屋敷方にはパンタを載せて!
しかも、なんと2連で!
鉄犬モハモハエントリーナンバー15、昆布屋の作品はなんとこの姿を目指しているのです!
おまる大決壊(核爆糸目姐さん)!
(←鉄犬モハモハ、昨日のエントリー表)

地図1
スライド1
これは大阪から芦屋までの阪神間の地図です。
大阪=神戸間はむかしもいまも、北から阪急神戸線、JR東海道本線、阪神本線の3本が平行して走っています。
さらに阪急電車は宝塚から阪神本線今津駅まで縦に貫く「今津線」、阪急神戸線から北への盲腸線「伊丹線」を有しているのもご存じの通り。
その阪急が戦前、今津線と伊丹線を海岸寄りで結び、宝塚を起点とする環状ルートを企てました。
(地図上エンジの点線)

阪神間の海岸沿いをそのなわばりとしてきた阪神電車がコレを許せるはずはなく、阪急同様に今津から海岸に沿って浜甲子園で甲子園線、洲崎で武庫川線に接続しながら出屋敷までの路線を計画!
しかもその特許は阪神に軍配が上がり、海岸線の建設に結実しました。
・・・・まあ、計画上今津までのあとの線区は出来ずに終わってよかったんだと思います、、、、

地図2
出屋敷地図
地図1の右端、赤い四角で囲まれた部分の拡大図です。
そう、この線区、出屋敷から東浜までが海岸線のうち実現した部分です!
途中の高洲から西へ別れて今津までの線区が計画されていました。

地図3
スライド3
地図2の上半分、赤い四角の部分をさらに拡大しました。
茶色い四角の書き込まれた数字はこれまでご紹介してきた保存車の場所。
右端が海岸線の始発駅だった出屋敷駅。
そう、なんと1km四方の中に阪神の歴史が閉じ込められているのです!
各保存車は下のリンクから銅像~!
(←71)
(←74)
(←601、1101)
(←阪神の保存車を訪ねるお散歩記事はこちら)

地図4
スライド4
地図3の赤い四角で囲まれた部分Aの拡大図です。
阪神本線から海岸線が分岐する出屋敷駅です。
東西に延びる阪神本線から分岐した海岸線は左へ90度急カーブし、進路を南へ変えます。
現在小さな公園となっているところをすぎるとスグに国道43号線、第2阪神国道にブチ当たります。
そう、このバカでかい国道を建設するために海岸線は廃止になってしまったのです。

地図5
スライド5
地図3の赤い四角Bの拡大。
ヨコハマタイヤと研文社の裏手に唐突に斜めに走る道路が見えるでしょうか!?
出屋敷駅周辺を除くとコレが唯一の海岸線の痕跡です・・・・

それでは、ジャック・ゼリーさん、お待たせしました!
あのN高生、雪うさぎちゃんと実際に出屋敷駅を探検してみましょう!
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日曜の早朝、雪うさぎちゃんはこんなTシャツで(核爆)!

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サイドにはこんな(核爆)!
いやらしいですね(大糞核爆)!

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さすがN高生!
参考資料も忘れません!

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古地図を拡げて!

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雪うさぎちゃんについて行きます!

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出屋敷駅の南側の道。
妙に2回、クランクしています。(地図4でも確認できます)
そう、この2回のクランクの間に海岸線の出口があったのです。

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白いBMWが置いてある、ステキなおうちですが、ガレージの奥はなにやら柵が斜めになってて狭そうです・・・・

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ステキなおうちをヨコから見たところ。正面の柵のあっち側がBMWのガレージ。

近づいてみますと!
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おまる決壊!
完全にこの柵、街並みのグリッドから斜めになっちゃってます!
そう、ここが海岸線が90度曲がって南へ進路を変えるカーブ跡!

さて、さきほどのガレージの前の東西方向の道に戻りましょう。
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ん?

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ああっ!

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ああああああああああああああああああああああ~!
こんもり盛りあがってる~~!
すなわち、コレがこの道を横切っていた線路敷きの跡なのです!

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その先がもちろん細長い、小さな公園。
この部分は払い下げられることなく、公共の土地になったようです。

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公園の端から南側の国道43号線を見ます。
向かい側のビルの隙間あたりに向かって海岸線は伸びていました。
この国道の建設が決まり、これを越す術が海岸線にはなく、あえなく廃止に。
国道の上部は阪神高速神戸線。
国道ができるまではのんびりと金魚鉢が走り、出来た国道は広く、中央分離帯にはフェニックスが植えられてまるでカリフォルニアのようでした。
その国道には今度は高速道路でふたをされ、さらに震災で西宮市内では倒壊。
さらに再建。
いまはなんでもないこんな場所ですが、高度経済成長に翻弄され、姿を変えていった歴史をたった数十年で経験した場所だったのです。

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コメント

海岸線跡探訪レポートありがとうございます

実家が阪神尼にもかかわらず、ずっと海岸線の所在は皆目わからずじまいでした。
コドモのころ魚釣りに自転車で武庫川・南武橋へ出るのに、西高洲町交差点・北西角(本文地図、中洲橋付近)の工場敷地内に架線柱のような電柱が一本だけあるのがずっと気になっていました。
このレポートを見てアレは、やはり海岸線のモノだったと確信しましたです。

一番驚いたのは、いつのまに糸目姐さんとつながったんすかー?
失血日記にも金魚鉢とスリスリ~とありましたが、わんわんさんも同行していたとわっ!
糸目姐さんもコンペにエントリーしたら大変なことになりそうですね。

  • [2014/08/04 22:23]
  • URL |
  • 尼セン@宮前平ヘンタイリスナー
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

いろんな、こんもりが〜
ありがとうございました。

見たことある家が写っていますが、
ホンマに廃線跡の上だったのですね。

前の道に車止めた時に、なぜ不自然に盛り上がっているのか、不思議でした。

嗚呼!

尼センちゃん、
つながってへんって!
昨日、ルルランちゃんからもらったコメントから初めて見てしもたんよ。
こら、オレもやっぱりエロワンピース着てお出かけせなあかんな!
それより尼センちゃんが糸目姐さんとつながってるほうがおまる決壊!

海岸線のなぞが解けてよかったですー

ゼリーちゃん・・・・
ほんとうにあの時のオッサンになっちゃったのですね・・・
オレの・・・(おまる決壊!)

ヌッキーナちゃん、
そうなんですよ。
ホンマに真上。
建て替えの時だったか、庭からざくざくバラストが出てきたそうです・・・・

つながってませんよー

糸目姐さんは一度見てみたいですが、まだリアルにもヴァーチャルにもつながってませんです。「高速有鉛」は購読していませんし。
金犬鉢さんがすでに知り合いになっているかと思いびっくりしました。
でも、きっとヘボサルさんはすでに知り合いだと思います。

中州橋のところの工場にまだ架線柱が残っているかどうかは今度帰ったら確認してみます~。

  • [2014/08/04 23:50]
  • URL |
  • 尼セン@宮前平ヘンタイリスナー
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

海岸線金魚鉢

やぐらに乗せたパンタがかっこええ!と写真を見た時思いましたね。
それにしてもこのブログ、ボキャブラリーと読者のみなさんの人間関係が濃いですねぇ。撮影旅行中、駅前喫茶店に入った気分です。

はいはいー

尼センちゃん、
たしかに以前、糸目姐さんの名前を聞いたのはへぼりんからでした。
アレだけあちこちに顔出してると、世界中の人とつながってるのかもしれません。
人間フェイスブック。
アタマ悪そう(糞爆)~!

駅前喫茶わんわん

Cedarさん、
ブログタイトルを駅前喫茶わんわんに変えようかな(糞爆)!
金魚鉢のパンタ姿はホンマに萌えますな!

ホンマや、出屋敷のあたりをグーグルアースで見たらBMWの駐車場の塀はもちろん、その近所の家の屋根も見事に斜めに切れてた。
道路の盛り上がりには興奮したよ。

そやろー!

ジンジン、
連続コメントありがとー!
そやろ!?
そういえばグーグルアースはっつけたら余計にわかりやすいかな・・・

ヒースロー空港なうですー
あの時時間があればコンドルのおっちゃんから貰った阪神国道線のVHS見せたかったんですけどねー...
それにも家が立つ前の敷地の様子が写ってました。
そのビデオにはくっきりはっきりわかるように写ってましたので。。。

今からヒースローを発ち日本に向かいます。露助に撃ち落とされなければ明日朝には帰国すると思います!

こ、こ、オマーン国際的になってきましたな・・・・
今度ビデオ見せてね♪
気を付けて帰ってきてくださいー。
たぶん、日曜日にビッグサイトへイケると思います。
そのとき、また!

そやったんや~

金犬鉢様、ありがとうございました!実は海岸線仕様の71型を作っていながら詳しい路線はよく知りませんでした・・・いっぺん行ってみます。5月までになんとか2連にしたいですわ。

ぜひ!

ぜひ行ってみてください!
もしかしたらパン付き金魚鉢が2連で走ってるかもです(ウソには大ウソ)!

未成の今津出屋敷線

はじめまして、Fernwehと申します。

わたしの子供の頃の記憶にかろうじて尼崎海岸線の姿があります。と言ってもそれは出屋敷駅にたたずむ「ちょっと変わった電車」の姿しかなく、それもいつの間にか姿を消し、線路のあった場所は空地になってしまいました。

ちょっと変わった電車はもちろん71形。しかし上甲子園以西では非常にまばらなダイヤの国道線、わたしはその数年後まで国道線を走る電車を見たことがなかったのです(?!)。

話はいきなり現在に飛びますが、先週車で出かけたついでに尼崎海岸線の終点東浜に行ってきました。1964年に廃止に先立つこと手続き上は1951年に東浜~高洲、0.7kmは休止になっています。鉄道ピクトリアル No.452には1954年12月の東浜付近の写真が掲載されていますが、架線柱が残るのみで線路は既に撤去されています。
高洲には何度か行ったことがありますが東浜はまだ一度の行ったことがないので、見てみたかったのです。工場と道路、岸壁、海の他は何もありませんでした...

未成の今津出屋敷線に関しては高洲から西に進んで浜甲子園にあった先行区間(浜甲子園~中津浜=中津濱線)に結ぶという説が多く見受けられますが、わたしはむしろ東浜から西に延伸を予定していたのではないかと思います。高洲からですと今の臨港線と言う道路とほぼ同じ経路になるわけで、それですと武庫川を渡る地点が武庫川線(これは戦時中急きょ作られたもので本来の今津出屋敷線計画とは関係がない)の東鳴尾、甲子園ではららぽーととその駐車場の間を通過するので、中津濱線につなぐことができません。

戦時中に武庫川線が造られ、これと尼崎海岸線をつなく工事が行なわれ、武庫川河口に鉄橋の橋脚が何基か作られましたが完成をみず敗戦を迎えました。この当時の洲先(「崎」ではありません)終点は現在の武庫川団地前になりますので、本来の今津出屋敷線の計画を踏襲するつもりだったかはわかりませんが、やはり高洲から西に進んだのでは武庫川を渡る位置が上流側過ぎます。

最後に尼崎、西宮をめぐる阪神、阪急の特許合戦(?!)ですが、海岸部分は確かに阪神に軍配があがりましたが、実は阪急にも塚口から阪神尼崎付近への特許がおりています。それと阪神傍系会社による宝塚尼崎電鉄の建設(途中で自動車専用道路に変更)もこの関連で考えないわけにはいきません。

長くなりましたが、そんなこんなでこれからもよろしくお願いします。

コメントありがとうございます!

Fernweh 様、
はじめまして。
また、
詳しい内容のコメントを頂戴し、感謝いたします。ありがとうございます。
今津出屋敷線の計画ルートについて、
本記事を書くに際して、当該エリアの地図を再度確認をして、どうも高洲から西進すると変なところにでちゃうな、東浜からの方が自然だな、と思いましたが、
確たる資料を探し出すことができていません。
機会があればぜひ、探り出したいところです。
こちらこそ、今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。

再び今津出屋敷線、未成区間について

またまたお邪魔します、しかも長文で失礼します、Fernwehです。

先日本屋さんでこんな本を見つけました。

阪神国道電車―1975年廃止その昭和浪漫を求めて 単行本 – 2014/4
神戸鉄道大好き会 (著) トンボ出版

この本に尼崎海岸線の写真が何枚か収録されています(鉄道ピクトリアルの特集号に収録のものと同じ)。

先日も書き込みましたように、わたしにとってこの尼崎海岸線をどこからどのように延伸して甲子園浜の中津濱線(浜甲子園~中津浜)につなげさらに今津まで伸ばそうとしたのかずっと謎で、今も資料を探しています。

浜甲子園への線形を考えると東浜からそのまま西にカーブすると思っています。しかし、途中の高洲で分岐して西に向かうとする本の方が多いです。

鉄道ピクトリアル No.640、84ページに特許、開業、休止、廃止の表がありました。これによりますと

武庫郡今津町ー尼崎市 特(許) --略-- 1924.5.19

出屋敷ー東浜 開(業) --略-- 1929.4.14

とあります。高洲ー東浜が1924年の特許に含まれない支線であるなら、別途特許を取得しているはずです。現に今津出屋敷線の先行開業区間であるはずの浜甲子園ー中津浜も同様に別途特許取得がないままに建設されています

浜甲子園ー中津ノ浜 開(業) --略-- 1930.7.9

また以下のような特許の記載もあります

尼崎市又兵衛字大浜西高洲(前大浜)ー西宮市下新田字甲子園口 特(許) --略-- 1943.3.16

この特許の武庫川右岸(西宮側)に相当するのが武庫川線です。高洲分岐説の根拠はおそらく後年高洲ー東浜が台風、地盤沈下による浸水被害があり戦後休止の末廃止になったことと、この1943年の特許であろうと思います。

これらの特許は武庫川線武庫川ー洲先のように実現したもの、尼崎海岸線、中津浜線、武庫川線武庫川ー武庫大橋、武庫大橋ー西ノ宮のように建設したものの休止、廃止になったものがあり、その休廃止も表に収録されていますが、

浜甲子園ー高洲
洲先ー前大浜 失(効) --略-- 1970.11.5

との記載も見受けられます。

このことから高洲から浜甲子園への特許(=計画)も存在していたが、これは戦争中の旅客、貨物輸送のために計画されたもので、当初の今津出屋敷線とは別の計画であったのではないかと推測しています。

又兵衛字大浜あるいは前大浜など今の地名では確認しづらいところもありますが、この地図を見ながらボチボチ考えています

http://ktgis.net/kjmapw/index.html

1927年~35年の地図だと何となく予定されていた経路が見える(?)ような気がします

...以上は阪神電車に関心のあるある方に宛てたメールを一部改変したものですが、そのメールの後に気がついたことも書き足しておきます。

今津出屋敷線は複線で計画されており、中津濱線は実際に複線で開業しておりますし、同じく部分開業区間の尼崎海岸線は単線ながら用地は複線分ありました。さらに架線柱を見ると戦時中に急遽建設された武庫川線が木柱で貧弱なものであるのに対して尼崎海岸線は終点の東浜までも本線仕様の立派な鉄柱が使われています。

もし高洲~東浜が今津出屋敷線の「本線」ではなくその支線であったとするならばそんな立派な仕様で建設しなかったと思うのです。

ところで阪神電鉄の社史(80年史)だったと思うのですが、この今津出屋敷線についておもしろい記事を読んだ記憶があります;「宝塚~浜甲子園、阪神・阪急直通相互乗り入れ」。どこをどうやって阪急電車が浜甲子園まで走るか、ちょっと考えればわかりますね?

来年もよろしくお願いします。

少々むずかしくてアレなんですが、お正月にゆっくり拝読いたします。
それにしてもお詳しい。
ぜひ、ご自身のメディアで発表されたし!
ともかく来る年もよろしくお願いします。
よいお年を!

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