サンデースペシャル!【特糞最前立腺】ここはドコ?ワタシは?【吠えろ!わんわん!】最後の最後の巻! 

昨日、土曜日の夜、たま子さんからおまるちゃん経由でいくつかのファイルが送られてきた。
生前の貞夫が日記を書いていたのを思い出し、昨日一日中、遺品の箱を探したところ絵を描いた当日のものが見つかったらしい。
英文である。

昨日完結したはずの本シリーズですが、その日記の内容をどうしてもみなさんに報告いたしたく思います。
もう一回だけお付き合いください。
(←以下の貞夫と早苗の実際の当日の行動に対して、当初小職が推理した行動はこちらから。結果、自画自賛ながら当たらずといえども遠からずといったところか)


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貞夫が早苗の家を訪問したのは昭和27年7月27日 午後1時10分。
早苗の家で早苗の両親と少しばかり挨拶の後、絵の道具を携えて早苗に連れられ、平野へ向かった。
平野は大阪市の区名であり、駅名でもある。
現在はJRと地下鉄谷町線に、そして当時は国鉄(現JR)と南海平野線(その後廃止 南海買収前は阪堺電軌)に平野駅があった。
それぞれの平野駅はまったく別の場所にある。
日記では平野とあるだけで具体的な場所は示されていないが、公園や大きな寺をめぐったという記述から、おそらく国鉄駅と南海駅の間のエリアだったと思われる。
ただし、絵を描きたい場所はみつからなかった。
また、早苗の家から平野への移動手段も記されていない。

つぎに平野を後にして、平野線に乗って桃ヶ池公園へ。
桃ヶ池公園は早苗の実家のすぐ近くだ。
すなわち、ほぼ早苗の実家から平野へ往復したことになる。
しかしそこでも絵を描く場所は見つからない。
そして、大和川へ向かうことにした。
(←平野線平野駅付近の廃線跡は以前歩いています。)

「さんざん歩かせてスマン」の記述はここのことだろうか、
日記には桃ヶ池公園から今川駅までずいぶん歩き、「大鉄」に乗って矢田へ向かったとある。
大鉄とはもちろん大阪鉄道のことだが、昭和18年には関西急行鉄道に吸収され、翌昭和19年には近畿日本鉄道に改組されているから当時はすでに近鉄と呼ぶほうが正しい。
いまでもJRのことを国鉄と書いてしまう小職と同じか(核爆)?

矢田駅から大和川までの道はダーティーだったと記されている。
ダーティーなのは道の舗装そのものなのか、街並みのことなのかはよくわからない。
先日、私が歩いたときも現代日本とは思えぬスラムが残っていることに驚いた。

大和川で絵筆を置くのは7時。
当日の大阪の日没時刻は19時05分29秒。
ちょうど日没の頃だ。
その後、早苗の家へ戻り、たのしく夕飯を共にしたとある。

日記はさらに翌日28日月曜へ続き、
早苗の父との約束だったポストカードを銀行で仕上げ、夜7時をすぎて早苗の家にとどけようと突然思いつく。
そしてその夜は早苗の勧めで早苗の家に泊まった。


ここまでの経路を地図に示してみた。
1.から6.が貞夫と早苗のこの日の訪問順である。
青い点線の矢印は徒歩。
ただし、1.早苗の実家から2.平野までの移動手段は不明。
プレゼンテーション1


実は昨夜、たま子さんから送られた写真はもう一点あった。
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あの絵の全貌である。
以前ご覧いただいたものは一部をトリミングしたものだった。
はじめはただ電車ばかり見えたらいい、と気楽に思って写していた、左岸に、多分両親と思える二人が見えたりします。
とはたま子さんからのメールの一部である。
たしかに左岸に若い男女と思われるふたりが描かれている。
ふたりは右岸にいるのに対岸に自らの像を描くのは不思議ではある。

この点については貞夫の絵についてその背景を少しだけご紹介せねばならない。
貞夫は山崎隆夫に師事していた。
山崎の師はあの小出楢重。
阪神間モダニズムの旗手であるフォービズムの画家。
フォービズムとは、理知性よりもパッション、感覚といったものを重視する画風。
山崎は小出の死後、小出の芦屋のアトリエを継ぐ。

さて、現在は広告代理店に依頼する広告制作だが、昭和40年代くらいまでは各企業で宣伝部門を持っており、実際の制作まで行っていた。
とりわけ、開高健、山口瞳、柳原良平らを輩出したサントリー宣伝部の評価は高く、
後に広告制作会社サンアドとしてサントリーから独立することとなる。
その独立の音頭を執ったのがサントリー社長の佐治敬三と山崎隆夫であった。

山崎は佐治に請われてサントリーに入社するまでは三和銀行の宣伝部を指揮していた。

当時の三和銀行のポスターを描いていたというから、貞夫は銀行員といっても営業職ではなく、宣伝部にいたと考えるほうが自然だ。
貞夫の上司がすなわち山崎隆夫だった。
実際、貞夫と早苗が昭和30年の年賀に訪問した山崎の芦屋のアトリエ、すなわち旧小出楢重のアトリエで山崎と並ぶ写真も日記と一緒に送っていただいた。
貞夫は銀行員の趣味ではなく、フォービズムの影響を色濃く受け、感覚を激しくぶつける画風の画家として描いた。

昭和27年7月27日、当日の日没時の太陽の方角は294.3328度。真西である270度から24度も北へ太陽は沈んだ。
日没直前、北側の電車の正面は夕陽に輝いた。
此岸にいるはずの自らと早苗のはしゃぐ姿を彼岸に、影のように描き、夕陽に輝く電車の正面との対比を表現した。
(完)

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サタデースペシャル!【特糞最前立腺】ここはドコ?ワタシは?【吠えろ!わんわん!】最終検証の巻  

1.空から

10月18日、羽田発16時ちょうどの全日空大阪行きに乗った。ボーイング777-200、座席番号9Aだ。
もろちん× もちろん、前方左の窓側の席を事前に確保していた。
写真 3

写真 5
離陸後30分ほどで志摩半島上空。このあたりですでに機は伊丹空港へ向かって降下を開始。ここからオレの任務は始まる。

写真 8
奈良盆地上空では低い雲に覆われ、地上は見えない。コレはダミかもわからんねー。

機は降下を続けた。

写真 9
雲が切れた!
そして目に飛び込んだのは左上に小さく見える、富田林のPL塔!

順調にABENO VORからIKOMA VORを目指していることをかくにん!

スライド4
飛行機はVORと呼ばれる地上電波発信ポイントを結ぶようにして飛ぶ。
伊丹空港への着陸のポイントはこの2つ。
あらゆる方角からここを目指し、伊丹の滑走路に正対する野田阪神。
そして左下の赤い丸で囲んだところが近鉄道明寺線の大和川鉄橋である。
飛行機の進行に合わせて、A~C地点から撮影。

A地点
スライド1
いよいよ大和川鉄橋が見えてきた。黄色の丸で囲んだところだ。

B地点
スライド2
大きくなってきた!
鉄橋の手前に白く、人道橋がかくにんできる。

C地点
スライド3
柏原駅上空からまっすぐ鉄橋を見る。
黄色の矢印はもちろん、絵を描いたと思われる視線。

写真
3,4分後、大阪市内上空でもう陽は傾き、大阪湾の水面を照らすのが精一杯になる。ぎりぎりのタイミングだった。

2.現場を歩く
あの絵は対岸から5本目までの橋脚が描かれている。
対岸から数えて、第1、第2・・・と数えることにしよう。
架線柱は橋脚2つにひとつ建てられている。
すなわち、絵に描かれる架線柱は向こう岸(左側)から第1橋脚、第3橋脚、第5橋脚のものだ。
なぞの信号機は第5橋脚のこちら岸側(右側)に立つように描かれていた。

まず、柏原側から人道橋を渡りながら鉄橋の詳細を見る。
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右が道明寺線の鉄橋。左は昭和48年に架け替えられた人道橋。

ここで、このブログにもコメントをいただくマスダマスオさんの貴重な写真をごらんいただこう。
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昭和44年のほぼ同じ場所。
人道橋の橋脚は現在と同じものに替わっているが、欄干は以前の木製のまま。
しかし、よく見るとコンクリートの橋脚の向こうに、以前の木造橋の橋脚の残骸が川の中に残存している。
もう一点、現在と違うのが架線柱。
下流側、向かって右側は現在、送電線を張るために延ばされているが、古い写真のものは送電線は横に張られ、架線柱は左右で同じ高さである。

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現在の第5橋脚の架線柱 柱頭部詳細。
送電線を張るために延ばされた部分の色があきらかに違う。
実は問題の絵は現在の姿に近い。すなわち下流側の柱の方が長く描かれているのだ。
上に伸ばされた送電線部はつけたり、はずしたりできるそうだ。


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第5橋脚の詳細。
こちらから見ると絵では第5橋脚の左側に信号機が描かれているが、その痕跡はない。

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さらに架線柱の柱脚部を拡大してもかつて信号柱が立っていた痕跡は見当たらない。

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左側にずれて配置されているのでもう少し藤井寺側に視線をずらしてもダメだった。

続いて、下流側の絵を描いたと思われる場所から詳細を見てみよう。
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第1橋脚
絵のとおり、川原敷に半分以上が埋まっている。

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第2橋脚
ちょうど川原敷と川の流れの境目に立つ。これも絵のとおりだ。
ただし、この川原敷だが、平成11年の洪水の際の復旧時に作ったと見られ、それ以前は第1、第2橋脚とも川の流れの中に立っていた。
すなわち、絵の様子は現在と同じであるが、それ以前とは違う。
川原敷もあったりなかったりするのか、と思えばさらに以前、昭和30年代の画像を見るとやはり川原敷は存在していた。
やはり時代によってあったり、なかったりするのだ。

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第3橋脚
時期はわからないがこの橋脚のみおそらく近年、橋脚も架線柱も建て直されている様子。
平成11年の川原敷の工事と同時に施工されたか?

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第4橋脚

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問題の第5橋脚。
この右側に信号機が描かれているが、こちら側から見てもその痕跡はない。

3.地図上を歩く
スライド5
いったん正解とさせていただいている、下流側から北東に向かって絵を描いたとして、その視線をあらわしたのが左側のD1から伸びる赤い円弧の範囲だ。
対して、まぢにゃんさんとたけしたさんが力説の、同じ道明寺線の橋を描いたとはいえ、向きが正反対で上流側から南西に向かったとする説がD2。
この視線だと、手前にあるはずの人道橋が描かれていないことになる。
また、この説だと絵の鉄橋の向こうの橋は国道170号線ということになるが、遠く離れた170号線はごらんのように絵の視界からは外れる。
この説の可能性はやはり低いだろう。

スライド6
もう一説が、hideta-oさんとワタクシの南大阪線説。
この説をM説とさせていただく。

4.M説の新発見
いったん、道明寺線下流側から北東を向いて描いたD1説を正解とさせていただいたが、ごく最近、M説に新事実が発見された。
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以前もご覧いただいたラビットカーだが、電車の位置が違う。

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こちらが以前ご覧いただいたラビットカー。
ちょうど架線柱1本分、今回のほうが左にずらして撮っているわけだ。
向こう岸の植生が茂ってそうは思わなかったのだが、この位置だと、橋脚や架線柱、さらに信号の位置まで絵と同じ。しかも電車の向こうの「山」と思われた位置にちゃんとこんもりとした木が立っているではないか!?

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橋脚はコンクリート製ながら3本で構成され、絵とは異なるが、横から見れば1本にしか見えない。
信号機は第5橋脚の架線柱にとりつけられている。

5.最後に
スライド7
みなさまの説を類型別に色分けしてみた。いちばん右側の列が説記号。
南大阪線のMは赤、道明寺線北東向きのD1は青、南西向きのD2は緑で色分けしている。
白の方はスミマセン(核爆)・・・・・

スライド8
最後に各説をキーにして得点表を作ってみた。
○の数と回答者数というまったく違うレベルの数字を足してもなんの役にもたたないが(大糞核爆)、一応総合得点とした。

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昭和27年7月27日 北村貞夫画

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平成28年10月20日 近鉄道明寺線 柏原南口=道明寺にて

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平成28年10月6日  近鉄南大阪線 矢田=河内天美にて
(電車は最前部と最後部の1両ずつがない、真ん中の2両編成と思ってごらんください)

貞夫が残したのは絵であり、写真ではない。
対象を取捨する恣意性が残される。
この推理には答えはなかった。
あとは、貞夫と早苗の淡い面影を知る、たま子に答えを見つけてもらうことにした。
(おわり)

【特糞最前立腺】ここはドコ?ワタシは?【吠えろ!わんわん!】その後 

今日、10月20日はわたしの命日。
わたしは53年前の今日、死んだ。
わたしには生前、いまから59年前に別れて、そしてすぐに死んだ妻がいた。
実は先週、その妻だった早苗から突然メールがあったのだ。
メールは必ず突然やってくる。まもなく59年前に別れた奥さんからメールが来ますよぅ~というメールは来ない。
来週はあなたの命日、あの64年前の夏のように大和川の川原へご一緒しません?

ひ?
なぜわたしより先に死んだキミがわたしの命日を?

そんなの、ホトケブックで調べればすぐにわかりますわ。
ホトケのフェイスも3度まで、うふふ。

ああ、ホトケブックか。
ASNS、 あの世の ソーシャル ネットワーキング サービスだな。
見るたびに、この彼岸のお供えの羊羹は虎屋だったとか、留学先のロンドンへ玄孫の顔を見に雲に乗って行ったとか、人に聞かせてもなんの価値もないジマン話ばかりでつまらんので一向に見ていない。

よし!わかった、じゃあ、10月20日にちょうどあの日と同じ9時に天王寺の国鉄の改札で待ち合わせよう。

写真 1

生きていたらわたしは95歳、早苗だってもう92のはずだ。

しかし、天王寺の、いまはJRというらしいが国鉄の改札で待っていた早苗はあの頃のままだった。
早苗、変わらないな。
あらいやだ。ホトケ様は歳をとらないのよ。だから私は29のまま。
貞夫さんだってぜんぜん変わらない!
でもいまごろは銀行員だってそんな髪型はおかしいわ。

写真 2

関西線の列車はまったく変わっていた。
あのときはC57の牽く客車列車だった。
気動車の時代や、101系や113系の時代もあったらしいがもちろんわたしはホトケブックで見ただけだ。

ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)

電車が走り出すと不意に早苗が狂ったように歌いだした。
あのときとまったく同じ声で。

でもなんであのとき早苗はメールって知ってたんや?

写真 3

電車は柏原に着く。
でもあのときのように道明寺線の電車は待っていなかった。

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しばらく後に道明寺から折り返した電車がやってきた。
色も形も変わったけれど、2両連結だけは変わらないな。
あのとき描いた絵を思い出して貞夫は笑った。

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写真 4
写真 5

柏原南口まではほんの短い一駅。

写真 1

駅からすぐの人道橋で大和川を渡り、左岸の川原を歩いて、ようやく構図が決まった。

写真 3

北東向きの風景はやや逆光気味だが、真夏の陽は強く、向こうの山、そして電車の正面を輝かせるには十分だ。
絵を描き始めたのは午前10時半すぎだった。

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早苗の持参した弁当を川原の木陰で食べ、午後3時には筆を置いた。

帰りは道明寺か土師ノ里まで歩こう。

写真 4
写真 5
写真 4
写真 1

点在する遺跡や古墳を散歩しながら、近鉄南大阪線の土師ノ里の駅に着いたときはすでに5時を回っていた。
さんざん歩かせてしまったな。
少し貞夫は後悔しながら、ふたりは阿部野橋行きの電車に乗り、北田辺の家まで早苗を送り届けた。

(←ここはどこ?の捜索依頼編はこちら)
(←みなさまの推理編はこちら)
(←解答編はこちら)


【特糞最前立腺】ここはドコ?ワタシは?【吠えろ!わんわん!】いよいよ、正解の発表です! 

昭和27年7月27日は良く晴れた日曜日だった。
貞夫はいつもの過労が祟って寝坊をしたが、それでも9時すぎには神戸岡本の自宅を出て駅に向かった。
阪急岡本駅で乗り込む電車からは貞夫と入れ違いに数名の女学生が降りる。
最近流行のサークル活動か。のんきなものだ。
すでに気温は30度近い。
車内は空いている。開け放たれた窓からの風に日曜日でも銀行員らしく整えた貞夫の髪が乱れる。
梅田に着くとちょうど10時だった。
開店したばかりの阪急百貨店で冷菓を10ほど買い、地下鉄御堂筋線に乗り換える。
いつも満員の地下鉄だが、今日はこちらも空いている。
一駅目はいつも貞夫が勤め先の銀行へ向かう淀屋橋。
今日はここでは下車しない。

天王寺はすでに買い物の奥さん連中で賑やかだ。
そうか、近鉄百貨店で買い物すればもう少し冷たいまま持っていけたな。
小さな後悔を感じながら、ちょうど出発間際の電車に乗った。
下りの近鉄電車はさらに空いていた。
阿部野橋から2駅、北田辺にはあっと言う間に着いた。
先週の日曜は東京への出張の前日でいまごろは米原を過ぎ、関が原を登るころだっただろうか。
前々週は大阪で89人の死者を出すほどの記録的な大雨の影響で会えなかった。
3週間ぶりに訪問する恋人早苗の家への道すがら貞夫は振り返っていた。

家の前に着くとちょうど早苗が郵便受けを見に、門のところまで出てきていた。
いや、はやる気持ちでずっと門のところで貞夫の着くのを待っていたのだが、それを察されるのが恥ずかしくて郵便受けを見る振りをしただけのことかもしれない。
早苗の父はすでに外出していた。
ひとしきり、東京での貞夫の出来事や、先週の日曜日早苗が出かけた天王寺美術館での展覧会の感想など、他愛のない話が終わるともう昼前。
昼飯には早苗の母と早苗の妹、そして早苗と貞夫の4人で早苗が茹でたそうめんを食べた。
氷に漬けておいた貞夫が持参した冷菓もようやく冷たさを取り戻し、これは早苗とふたり縁側に並んで食べた。
そのまま貞夫は縁側で寝入ってしまったようだ。
早苗が気を利かせて貞夫にタオルケットを架けたのだが、それが返って仇になってずいぶん汗ばんで目覚めるとすでに3時を回っている。
少し散歩でもしないか?
大和川まで。
画を描きたいんだ。

大和川まで?
それはまた、ずいぶん遠おくてですこと!
わたし、小学校の遠足で一度だけ歩いていったことがあるのですが1時間半もかかるでしょう。
この時期とはいえ、着いて画を描き始めたらもう日没も間近ですわ。
私は大丈夫、歩けますけど、貞夫さんのお体を考えると画のお道具を持って大和川まではお勧めできません。
散歩の支度の間中、それでも早苗は鼻歌を口ずさんで母に叱られるほどご機嫌だった。
お出かけいたしましょう、メイクにお着替えね。
どうしましょう!あのひとの好みを知らないわ。
迷うわあ!
セクシーなのキュートなのどっちがタイプよ?


結局、もう一度北田辺で電車を拾い、3駅目、矢田で下車した。
たった5分ほどの車中だったが、相変わらず早苗はご機嫌だった。
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)

なんや、そのメールっちゅうのは(糞爆)?

矢田は最寄り駅だが、それでも意外と大和川は遠かった。
まだ真夏の陽は高いが土手に上ると川面を渡る風が涼しい。
ちょうどすぐそばの近鉄の鉄橋を真新しいツートンカラーの電車が渡っていく。
これを描こう。
描き始めた貞夫を後ろから早苗が笑う。
電車の絵だなんて、まるで貞夫さん、こどもみたい。

うるちゃいな!いままで隠してたけどオレ、めっちゃ鉄ちゃんやねん(大糞核爆)!

電車の向こうに陽が沈もうとしている。
画の道具を片付け、ふたたび電車に乗って北田辺に戻った。
駅から送り届ける途中、早苗は
こんどはいつお目にかかれるのかしら?
と恥ずかしそうに貞夫に問う。
来週も来るさ、もう少し画を進めなくちゃあいけないからね。

次の週、貞夫は来なかった。
日曜の翌日からずっと熱を出し、銀行にも出られず岡本の家にいて結局日曜は早苗が神戸の貞夫を見舞うことになった。
結局、あの画は自宅で療養しながら仕上げを進め、翌月29日の金曜の夜ようやく完成を見た。
早苗に贈るつもりのキャンバスの裏には「さんざん歩かせてスマン」と認めた。

翌昭和28年、貞夫26歳、早苗23歳のときふたりは結婚。
岡本の貞夫の家の庭に新築した離れに居を構えた。
2年後の昭和30年、待望の長女、たま子が誕生。
しかし、幸せは長くは続かなかった。
早苗は厳しい貞夫の母と衝突を繰り返した果てにたま子を連れて北田辺の実家に帰った。
その心労からか、早苗は昭和34年、29歳の若さで急逝する。
しばらくは北田辺の祖父母に面倒を見てもらっていたたま子だったが進学するにあたって、京都紫野の寺に嫁入りしていた早苗の妹夫婦に育てられることとなった。
そしてその後貞夫も以前から患っていた肺炎をこじらせ昭和38年36歳で他界した。

たま子が紫野の高校に入ると「おまるちゃん」という奇妙な仇名のクラスメートがいた。
たま子は学校が終わるといつも「おまるかくばく~」と叫びながら山陰線の二条駅に汽車の写真を撮りに走るおまるちゃんを見て、やはり鉄ちゃんだったおぼろげな父の姿を思い出すのだった。
時は流れ平成元年、いまは貞夫の姉夫婦が暮らす岡本の実家をマンションに建て替えることとなった。
そのとき解体される母屋から出てきた貞夫の残した画がたま子に譲られる。川を渡る電車の絵。
この画のことはたま子も忘れていたのだが、この春、孫ができる段になり急にこの画の場所が無性に知りたくなった。
キャンバスの裏には大和川にて、さんざん歩かせてスマン、と認めてあるが大和川にはたくさんの鉄橋がある。
さて、これはどこなのだろう。さんざん歩かせてスマンとは誰に宛てた言葉だったのか。
秋になって、たま子はみなが還暦を迎えたことを記念する久しぶりのクラス会に出ることがあった。
再会したおまるちゃんをみて思い出したのはやはりあの山陰線へ走ってばかりいた姿だった。
そう、鉄ちゃんのおまるちゃんならわかるかもしれない。
クラス会がはじまってすぐ、たま子はおまるちゃんをつかまえてその画の話をした。
おまるちゃんは「電車の童貞× 同定はオレにまかせろ、Densha no Dotei ha Oreni Makasero!DDOM DOM DOM ドドンドンドン!!しょーもない脱法鉄ブログやってる核爆野郎がきっと特糞最前立腺を張ってくれるぜい!」とわけのわからぬ答えを返した。


きっとそんなところだ。
(出典: 犬宰治 本日はお日柄もよく(糞爆))


2016年10月6日。
ぼくはその日1952年(昭和27年)7月27日に貞夫と早苗が歩いた道を歩こうと思った。

写真 1
早苗の家に着く前の貞夫の行動。阪急から御堂筋線に乗り換え、天王寺に着いた。
ご存知のとおり、この駅は構造から照明器具に至るまで開業当初のままだ。
貞夫もこのホームに降り立った。

写真 2
地下鉄御堂筋線の改札を出て、近鉄南大阪線の駅と一体となる近鉄百貨店の方を向く。このあたりの風景はつい先年のあべのハルカスの誕生で一変している。

写真 3
さらに左折して、近鉄乗り場へ向かう階段。
この階段も向きもなにも変わってしまった。
その階段を上りきるかどうかのところで貞夫は冷菓を梅田で買いこんでしまったことを後悔する。

写真 4
階段を上りきって近鉄の改札の方を見る。

ここで天王寺駅前交差点の歩道橋の上から地上の風景を確認してみよう。
写真 2
まず、北を向くと国鉄天王寺ステーションビル。
外装こそ替えられ、名前もmio、と変えられているが建物自体は古いままだ。
それでも竣工は1962年であるから貞夫はこの建物を見てはいない。

写真 1
南を向けばおなじみの阪堺電車上町線天王寺駅前駅。
上町線は大阪市電天満橋南詰まで相互乗り入れを行っていたが、それは明治年間で解消されており、この駅は1952年当時もほぼ同じ風情で存在していたと思う。

そして視線をやや左へずらす。
写真 3
写真 4
そう、天王寺駅前交差点の南東角にこれまでの近鉄百貨店に代わって建設されたのがあべのハルカスである。

写真 1
話を近鉄阿部野橋駅に戻そう。
近鉄は大阪市内、難波、上本町、阿倍野橋からそれぞれ名古屋へ、奈良方面へと伸びるが、ここ阿倍野橋から出て、吉野を目指すのが南大阪線。狭軌であることが難波、上本町から出る大阪線とは異なる。
なお、阿部野橋駅は国鉄や地下鉄でいえば天王寺駅とまったく同じ意味しかない。
国鉄大阪駅周辺の各私鉄線駅が梅田と称するのと事情は同じ。

写真 2
貞夫が乗っただろう、普通電車に乗る。
もちろん、電車は一変している。
駅構内は1939年の新築時の構造が残っているのか、それとも1957年(昭和32年)の村野藤吾による改修時のものか、それともハルカス建設時など、数え切れないいずれかの百貨店改造時のものなのかよくわからない。

写真 3
2駅で早苗の実家、北田辺に着く。
貞夫はここで降り、早苗の家へと歩く。
そしてしばらく早苗の家で過ごし、今度はふたりでこの駅から電車に乗り込む。

写真 4
そして3駅目が矢田である。
ぼくがこどものころは阿部野橋からずっと地上線だったのを覚えているけれど、矢田駅も当時とはまったく違う風情なのだろう。

写真 1
電車を見送り、地上へ。

写真 3
駅を振り返る。鉄道を高架にすると駅は本当になぜこんなに殺伐とするのか。

写真 2
駅前には闇市がそのまま残ったような短い商店街があるが、このアーケード自体は1952年にはまだなかったデザイン。

写真 4
大和川を目指す。
周辺は昭和20年代後半~30年代初頭に乱立した木造アパートが今だ密集する。
貞夫と早苗もこの長屋あたりは見て歩いたかもしれない。

写真 1
10分ほど南へ歩くとさらに殺伐とした風景が広がる。
1棟だけ建っているがこれも昭和40年代に計画した大阪市営団地の残骸だ。なにかの理由で途中で建設を放棄した。
右手に近鉄南大阪線の高架。
正面にはいよいよ大和川の堤防が見えてきた。

写真 2
でっかいどー、ほっかいどー?

写真 3
写真 4
ココハオキナワ?監獄ビーチ!

いえいえココハ!
写真 1
大和川!

写真 5
堤防に登ると急に風景は広がり、川面を涼しい風が渡る。

写真 2
しばらくいくと踏切。
西から東へ、踏切を渡る。

振り返れば!
DSC_3940.jpg
ラビットカー!

そして!
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青の交響曲!

そして!
IMG_20161002_055234.jpg
南大阪線急行用昭和25年新造車モ6801形(後に6800系登場に際し6411形に改称)!

この絵が描かれたのはいまから64年前のまさにこの場所でしょう!
橋脚も橋桁も、架線柱も、まるっきり昭和27年当時のまま!
向こう岸の植生が変わっているのは64年の歳月。
鉄道橋のむこうにちらりと見える道路橋だけは架け代わって橋脚の数を減らしている。

しかし!
この絵には奇妙な位置に信号機が見えます。検証してみましょう!

DSC_3911.jpg
ひ?

DSC_3958.jpg
ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい~~!

信号はいまもあるものの、その向こうの植生に覆われて見えなかった部分にまだまだたくさんの橋脚があります!
まるっきり絵の橋脚の配置とは違います!


そこでみなさんの推測を見ますと、ボクと同じ、南大阪線矢田=河内天美間と同定したのはあの、hideta-oさんだけ!
hideta-oさんの実直かつ、精緻な思考は以前から存じあげているので
やっぱ、さすがhideta-oさんやなー、オレと同じ推測やなー、
どっちみち絵やからなー
あっち岸の橋脚の2本や3本、省略するよな~(大糞核爆)

と勝手に納得!

超駄菓子!

あの、絶対こういうことで間違いを犯すはずがない怪鳥うず爺さんの回答を見ると!
(←怪鳥うず爺さんのコメント)

ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい~~!

さっそく、グーグルマップで調べてみました!
うっわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ~~!

ここであまたある大和川鉄橋を消去法で考察します。
まず、大阪平野部で最上流の大和川鉄橋は近鉄大阪線。
それより上流は山岳部となり、まるっきり絵とは異なる風景。
奈良盆地に入ってもさらに大和川は上流へ延びますがすでに川幅を大きく縮め、これも絵とは異なりますので
結局、大阪平野にある、下流から順に南海本線、阪堺線、南海高野線、JR阪和線、わたしが推測した近鉄南大阪線、そして近鉄道明寺線、近鉄大阪線の都合7箇所が候補。

まず、現JR阪和線にはこんな電車はありませんでした。
南海の3本は本線、阪堺線、高野線共通設計の赤い鋼管製の橋脚を持つ鉄橋でコレももちろん絵と全然違います。

(南海高野線参考写真 阪堺線も同じ設計、南海本線も当時は同じ設計)
DSC_7992_20161012072104bd6.jpg

ここで近鉄の3線に絞られます。

最後の最後までhideta-oさんとオレのふたりだけが推測した南大阪線が正解かもしれないとも思ってましたが
最後の決め手は光線。
画の電車の正面に陽が当たっています。
風景画を描く人が光線を間違えるはずは有馬温泉。
すなわち、電車の正面が南。
そして電車の正面が南なら、西向きとなる側面は逆光で陰になっています。
すなわち、この絵は午前中に北東方向を向いて描かれたことを示します。

まず、大阪線の大和川鉄橋。
道路橋との関係から手前が南となり、光線は絵と合致する上、
あのツートンカラーの特急用2200系増備車2227形が昭和14年から新造されていて俄然可能性は高まります。
しかし、2本足の橋脚や幅の広い架線柱の形状が絵と異なる上、特に向こう岸の橋脚の配置も絵と全然違います。

つぎに私が推理した南大阪線。
橋梁のデザインや川の情景は酷似するものの、橋脚の配置がぜんぜん違う!それ以前に方角がまったく逆!
西側に平行する道路橋が鉄橋の向こうにあるので、電車の正面が北側となり、絵を描いた時間帯を問わずぼくが撮った写真のように電車の正面は真っ暗になります。電車の正面に陽があたる絵の光線とはまったく違います。あかんやんけ!

そして最後に残ったのが道明寺線。
鉄橋や架線柱の形状、配置、電車への光線の当たり具合と人道橋との関係から推測される方角のすべてが絵と一致!
絵である限りは画家の恣意性も考慮する必要があるでしょうが、ここまですべてのモチーフが偶然一致することはないでしょう。

だから答えは!
近鉄道明寺線
柏原南口=道明寺間
道明寺(藤井寺市、大和川左岸)側から柏原南口(柏原市、大和川右岸)を向いて。
方角は北東!
電車は昭和25年、絵の描かれた2年前に登場したツートンカラーの南大阪線急行用新造車モ6801形!


大和川近鉄地図
ココです!


ただ、いくつかの疑問点が残ります。
まず、謎の信号機。
これは信号システムの変更などによる撤去も考えられるけれど、確たる証明はできていません。

つぎに背後の山。
現地の山はもっと電車の背後まで伸びているように思います。
これは絵を描いた位置が川原の低い位置であり、見上げることにより山が電車の背後に隠れるような角度があるかもしれません。

また、橋梁の橋脚の高さと橋桁の長さのバランスも少し違います。
どちらかというと絵は南大阪線のプロポーションに近く、橋脚が高くなっているように思います。
これは絵ゆえのデフォルメでしょうか?

そして最大の疑問が電車の形式。
新造2年後のモ6801形急行車を道明寺線運用に回したでしょうか?
これも消去法で恥ずかしいのですが、
モ5820を名古屋線から持って来て「かもしか」号として運用したのは昭和35年以降。
また、木造車を鋼体化したモ5801形が登場するのも昭和30年のこと。
絵を描いた昭和27年には存在しません。
消去法ではモ6801、となるのですが
地元、かつHNから超オーソリティなはずの吉野線のシェルパさんもその点に疑問をお持ちです。
しかも、モ6801形がいったん改軌の上、モ6411形として名古屋線へ転籍、その後南大阪線に戻ってきたときは阿部野橋寄りがパンタ位置で絵とは異なる。
この点については奇車怪社さんが疑義を唱えられています。
モ6801形は途中で片運化など大規模な改造を行ったうえ、上記のとおり名古屋線への転籍経験もあり、その間に改造もしくは方転が行われたと都合をつけるしかありません。

そこで急浮上するのが大阪鉄道デニ501から改造された当時でもすでに古豪であったモ6601。
ちょうどこの頃、3ドア化・グリーンの濃淡ツートンカラー化が行われています。
しかもこちらであれば、パンタ位置も絵の位置で合致します。
だんだん正解はこちらのような気もしてきました。

いずれにしてもこのあとも、上記のような疑問についてもう少し調査分析を深める必要があるかもしれません。



昭和27年7月27日日曜日(曜日、天候調査済み)、
貞夫が神戸・岡本の家を出て阪急電車に乗ったのは午前8時前だった。
梅田で地下鉄御堂筋線に乗り換え、天王寺に向かう。
9時に待ち合わせの国鉄の改札にはすでに早苗は二人分のお昼の弁当を用意して待っていた。
関西線の列車に乗り込んでふたりが柏原駅に着くのは9時半ころだった。
20分ほどの車中、ご機嫌の早苗はなんどもなんども同じ歌を繰り返し狂ったように歌っていた。
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)
ね~え~ってばね~え~
お話しましょう(泣)
メールばっか打ってないで~(怒)
も~お~ってばも~お~
今見てたでしょ(爆)
すれ違うお嬢さんを(激怒)

ちょうど停車していた道明寺線の電車に乗り換える。柏原南口まではほんの短い一駅。
駅からすぐの人道橋で大和川を渡り、左岸の川原を歩いて、ようやく構図が決まった。
北東向きの風景はやや逆光気味だが、真夏の陽は強く、向こうの山、そして電車の正面を輝かせるには十分だ。
絵を描き始めたのは午前10時すぎだった。
早苗の持参した弁当を川原の木陰で食べ、午後3時には筆を置いた。

帰りは道明寺か土師ノ里まで歩こう。

点在する遺跡や古墳を散歩しながら、近鉄南大阪線の土師ノ里の駅に着いたときはすでに5時を回っていた。
さんざん歩かせてしまったな。
少し貞夫は後悔しながら、ふたりは阿部野橋行きの電車に乗り、北田辺の家まで早苗を送り届けた。


・・・・というワケで!
得点票
(方角については正確には東北東が正解になりますが、選択肢に用意がなかったため、北東、東ともに正解とします)

場所の同定をいただいたのは

・みかんさん
・吉野線のシェルパさん
・あませんさん
・まぢにゃん@松本さん
・抹茶坊主さん
・たけしたさん
・怪鳥うず爺さん
・奇車怪社さん


以上、7名のみなさん!
ただし、まぢにゃん@松本さんとたけしたさんは向きを間違えてますがっ!
ありがとうございました!
ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪

また、たった1点獲得ながら、午前10時と時間の特定をいただいたHi-Zさん、
画家のデフォルメに言及した結果、2点にとどまったみかんさん、ありがとうございます!
それよりなにより、
画家の深層心理、鉄の性癖にまで踏み込み、深く洞察した挙句0点に沈んだ武庫川警部さん、誠に不謹慎で恐縮ですが笑わせていただきました(糞爆)!

そして最後に、以下の3名の方々は車両形式に至るまで、完璧なお答えをいただきました!

・抹茶坊主さん
・怪鳥うず爺さん
・奇車怪社さん

ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪ヽ(*´∀`)ノパフパフ♪

完璧正解者のみなさんには名人賞として西条凡児さんより、ヒガシマルうどんスープの素1年分を進呈します!


とにもかくにも、わたしひとりの推理では危うく間違えてしまうところでした。
やはり、みなさんの推理をお伺いして本当によかったと思います。みなさん、本当に推理へのご協力ありがとうございました!
みなさんのおかげでおまるちゃんのおともだち、たま子さんのご両親の思い出を取り戻すことができました!
また、超長駄文におつきあいいただいた読者のみなさん、ありがとうございました!
そして最後になりましたが、おまるちゃん、たま子さんになにとぞよろしくお伝えください!

今度、大阪へ行ったら、正解の柏原南口から土師ノ里まで歩いてみたいと思っています。
そのときにまた!
チャオ!

【特糞最前立腺】ここはドコ?ワタシは?【吠えろ!わんわん!】みなさんの推理結果の発表です! 

【特糞最前立腺】ここはドコ?ワタシは?【吠えろ!わんわん!】は水曜日に推理のご投稿を締め切った後、すでに回答の生データを公開しておりますが、ここでいよいよみなさんの推理の集計結果を発表します!
ご回答は15名の多くの方々にいただきました!
(←公開済みの生データはこちら)

まず、問題の絵を再掲します。
IMG_20161002_055234.jpg
この絵です!

まずはいきなり最重要課題、ココはどこか!?
鉄橋を電車が渡る絵ですから、この鉄橋が何線のものかの特定がすなわち答となるわけです。

じゃーん!

何線?
スライド1
なんかいでんちゃ!と答えてすでにがっくり来た方もいらっしゃいますね(大糞核爆)?
そう、あなたとあなた(大糞核爆)!
でもまだまだわかりま温泉よ!
ともかく、ほぼ全員が近鉄各線、中でも道明寺線とお答えの方が半数以上!

絵を描いた方角は?
スライド2
方角は半数以上の方が北東、または東。
何線かを間違えると自動的に間違えてしまう可能性が高い設問です。

車両は?
スライド3
車両は近鉄の5形式のほか、ほんの数名ですが他社車両+無回答の方々に集約されています。
1551形、1201形ともっともらしく南海電車の形式を答えたあなたとあなた!
まだわかりませんよ!


それでは、以下にお名前を露出して(核爆)、各回答者の推理を見てみましょう!

お名前 明智犬五郎
設問1 鉄道会社・線区名

近鉄南大阪線

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
大阪市

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
松原市

設問4 向いている方角は?
南西

設問5 描かれている電車の形式名
モ6801形 南大阪線急行用として昭和25年新造。登場時はなんと大阪線特急と同じカラーだったそうだ!

設問6 推定理由をご自由にお書きください
昭和27年7月27日は日曜日。おかあさんの家は近鉄南大阪線北田辺。お倒産×が結婚前のおかあさんを誘って大和川辺にデートに出かけたにちがいない!南大阪線の大和川鉄橋で決まりだ!よし!現場検証に出かけよう(大糞核爆)!



お名前 Hi-z
設問1 鉄道会社・線区名

近鉄大阪線

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
安堂駅側 大和川の南側

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
河内国分駅側 描いてる方向は東

設問4 向いている方角は?


設問5 描かれている電車の形式名
特急で2200系もしくはその系列。2編成があったかは不明ですが。

設問6 推定理由をご自由にお書きください
遠景にある緑と影のかかる向き。夏場で10時前後。



お名前 みかん
設問1 鉄道会社・線区名

近鉄道明寺線(柏原南口~道明寺間)

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
大和川南岸(道明寺側)

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
北側(柏原方向)

設問4 向いている方角は?
北東

設問5 描かれている電車の形式名
近鉄2200系などの、ビスタカー以前の大阪線用特急車。

設問6 推定理由をご自由にお書きください
近鉄大阪線の大和川橋梁を画像検索していてたまたま見つけましたが、鉄橋の色、形、道路や山との位置関係などがかなり似ているので。
http://www.localline.jpn.com/06kinki/kintetu/domyoji.html
※↑で架橋中の道路橋には、調べたら先代の橋があるようです。
http://88tetu.blog.fc2.com/blog-entry-1432.html

http://tsurikakedensha.blogspot.jp/2015/11/blog-post_12.html
南海高野線の橋梁もかなり似ていますが、趣味で絵を描いている人なら、描き応えのある?鋼管橋脚はきちんと描くのではないかと思います。

大阪線特急車はもちろん道明寺線は走れませんし、同じ塗装の車両も南大阪線系統には無かったと思いますが、戦後初の有料特急として復興を実感させる明るい話題になったとのこと、特に関西の人々には印象に残り、せっかく近鉄を描くなら、と遊び心を発揮したものと邪推しました。
(*管理者注: パーミッションを得ていない外部サイトへのリンクは控えさせていただきます)


お名前 吉野線のシェルパです
設問1 鉄道会社・線区名

近鉄道明寺線

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
藤井寺市船橋町7丁目付近、大和川左岸の築堤上
https://www.google.co.jp/maps/@34.5793257,135.6234298,3a,75y,73.5h,77.2t/data=!3m6!1e1!3m4!1s-HU8Ifajne4CiIhzYmxYmw!2e0!7i13312!8i6656"

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
対岸の柏原市を向いて、絵画の左側に見える緑色は信貴山の南側にある雁多尾畑(かりんどおばた)付近かと思います

設問4 向いている方角は?
北東

設問5 描かれている電車の形式名
これがわからない。かもしか号の塗装で道明寺線の運用に入っていたかどうかがワカランのです。昭和39年だと全面5枚窓のタマゴ電車が使われていたかもしれません。これは詳しい方にお任せで。

設問6 推定理由をご自由にお書きください
・単線っぽい。
・後ろの橋は現在コンクリート橋の新大和橋だと思います。昭和39年当時は木橋のはず。
・築堤内側の河川敷の感じがそんなに変わっていないように思えます。

特定できれば良いですね。
(*シェルパさん、あたたかいお言葉をありがとうございます!)
(*管理者注: パーミッションを得ていない外部サイトへのリンクは控えさせていただきます)



お名前 あません
設問1 鉄道会社・線区名

近鉄道明寺線

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
左岸

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
柏原市

設問4 向いている方角は?


設問5 描かれている電車の形式名
5800系(木造鋼体化) クリームに緑

設問6 推定理由をご自由にお書きください
プレートガーダ橋であるが、橋脚が一本足。
南海本線・高野線・南大阪線は三本脚であることから除外。
阪和線にはこんな2トーン車はなかった。



お名前 まぢにゃん@松本
設問1 鉄道会社・線区名

近鉄道明寺線

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
柏原市役所または近鉄大阪線安堂駅から大和川の土手道である国道25号線を渡って河原に降りた付近。

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
藤井寺市方向。即ち絵の左側は道明寺駅で、右側は柏原南駅である。

設問4 向いている方角は?
西

設問5 描かれている電車の形式名
かもしか号塗装の5820型 (旧伊勢電231型)と考えるが、自信なし。
絵では前パンだが、実車は妻面寄りである、等

設問6 推定理由をご自由にお書きください
何と無く見慣れた土手と鉄橋から地図と見比べて推測した。
(幼少の頃、道明寺駅近くの祖父母の家があった。)
大和川に架かる鉄橋の内、このタイプ(レンガ積み)の橋脚は近鉄大阪線と道明寺線で、絵では単線のようである事から道明寺線と推定した。
さらに、鉄橋の右手にある信号機は柏原南駅の場内信号と思われる。



お名前 抹茶坊主
設問1 鉄道会社・線区名

近鉄道明寺線

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
道明寺側

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
柏原南口

設問4 向いている方角は?
北東

設問5 描かれている電車の形式名
近鉄6411系

設問6 推定理由をご自由にお書きください
電車の塗装から近鉄。鉄橋は単線と思われるので道明寺線。
かもしか号かと思いましたが、ほかに南大阪線系統で塗りの違う旧型を近鉄ガイドブックと私鉄電車のアルバムで確認。



お名前 武庫川警部
設問1 鉄道会社・線区名

南海本線

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
国道26号大和川大橋南詰と南海本線鉄橋の間の南岸堤防から

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
紀州街道大和橋方面

設問4 向いている方角は?
西

設問5 描かれている電車の形式名
1551形 なると号
藤色、白色のツートンが日を浴びて、画家の印象としてこの色となった。
何連か、パンタの位置は、などは鉄の判断基準であって、一般画家にとって大きな問題ではない。

設問6 推定理由をご自由にお書きください
鉄橋スタイル、線形から南海2線のいずれかと思われる。
鉄橋背後にヘロい橋桁が描かれている。
これが、紀州街道大和橋、あべの筋遠里小野橋、どちらかによって路線、方向が違ってくる。
前者なら本線を東側から、後者なら高野線を西側からとなる。
河川敷の狭さから本線ではないかと判断した。



お名前 たけした もと阪神電車模型とか~~
設問1 鉄道会社・線区名

近鉄道明寺線

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
右岸

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
下流

設問4 向いている方角は?
西

設問5 描かれている電車の形式名
わかりません 

設問6 推定理由をご自由にお書きください
国鉄柏原駅に向けて走行中かと 単線 2両連結 川幅と川の曲がり具合



お名前 E.NUKINA
設問1 鉄道会社・線区名

近鉄大阪線

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
河内国分駅と安堂間の河内国分側の下流側から

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
上流側は高井田方面、鉄道橋の後ろに見えている橋が国道25号線

設問4 向いている方角は?


設問5 描かれている電車の形式名
近鉄特急ですから2250系でしょうか。
冷房搭載して2輌でユニットになっていたので、その頃の絵かと思います。

設問6 推定理由をご自由にお書きください
この付近、昔から良く通るので何となく背景の雰囲気が似ていると感じました。



お名前 hideta-o
設問1 鉄道会社・線区名

近畿日本鉄道南大阪線矢田-河内天美間でしょう。

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
画は大和川の上流側右岸から描かれていると思います。

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
下流左岸方向を向いています。鉄橋の向こう側に見える橋は高野街道の下高野橋。

設問4 向いている方角は?
南西

設問5 描かれている電車の形式名
クリームとブルーのツートンカラーで3扉の張り上げ屋根、ヘッドライトは埋め込み式ではなく外付け式ですので、手前からモ6411形とク6521形の2連と見ました。

設問6 推定理由をご自由にお書きください
車体から国鉄ではなく私鉄で、車体色から南海ではなく近鉄と推測。
近鉄が大和川を渡るのは下流から順に(1)南大阪線矢田-河内天美間、(2)道明寺線柏原南口-道明寺間、(3)大阪線安堂-河内国分間の3つですが、架線柱が複線なので(2)は除外。
当時大阪線には、設問5に記載した特徴に該当する車両はなかったため、(1)の南大阪線と推測しました。



お名前 ゼリー
設問1 鉄道会社・線区名

近鉄大阪線

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
河内国分

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
安堂

設問4 向いている方角は?


設問5 描かれている電車の形式名
近鉄特急2200系
すずか かつらぎ あつた なにわ いすず
いすずの確率が大

設問6 推定理由をご自由にお書きください
橋梁は、近鉄型であり南海ではない
奥に見える道路が、国道25号線と思われる
近鉄特急がすでに走っている日付
絵の車体色については、下部濃紺を表現したとも見える
気になる信号機については真偽不明



お名前 金サワ
設問1 鉄道会社・線区名

南海電鉄 高野線

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
大阪市住吉区遠里小野3丁目より河口方を臨む

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
堺市堺区香ヶ丘町5丁 大和川公園

設問4 向いている方角は?
西

設問5 描かれている電車の形式名
1201形かなあ・・・

設問6 推定理由をご自由にお書きください
塗り分けは近鉄っぽいのですが、ガーダー後ろに道路橋らしきものが見えるので、この条件を満たすのは高野線の大和川鉄橋しか該当しないと思われます。架線柱も南海っぽいし。



お名前 怪鳥うず爺
設問1 鉄道会社・線区名

近畿日本鉄道 道明寺線

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
大阪府藤井寺市舟橋町の堤防より東に向かって
北緯 34.579671,
東経 135.622700
この付近だと思われます。

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
大阪府柏原市古市2丁目

設問4 向いている方角は?


設問5 描かれている電車の形式名
ク6701形 + モ6801形の2両編成
塗装 上半クリーム 下半ブルー  大阪線の当時の特急色と同じ
1957年 改番 ク6701→6521 モ6801→6411
1957年 名古屋線に転属 塗装がダークグリーンに変更
1959年 南大阪線に戻る
1964年 マルーンレッドに変更
その後一部は、荷物電車となる。
1980年 電動貨車となる。 モワ26・27
1983年 廃車

設問6 推定理由をご自由にお書きください
架線柱と車体の間隔から見て単線軌道である。
橋脚の構造が一本柱である。
橋脚と架線柱の位置関係が一致する。当時の画像も確認。
時代背景と一致する車両の塗装。
鉄橋の背景の細い橋脚の存在。 当時から有る人道橋。
以上の項目が全て一致するのが、近鉄道明寺線です。



お名前 奇車怪社 ・・・ ヘンでヘボなものしか作れませんので。
設問1 鉄道会社・線区名

近鉄 道明寺線

設問2 川のどちら側から?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
川下 左岸

設問3 川のどちら側を向いて?(駅名、地名、市町村名などいずれも可)
川上 右岸

設問4 向いている方角は?
北東

設問5 描かれている電車の形式名
モ6801型+ク6701型(S27当時)

設問6 推定理由をご自由にお書きください
橋脚が柱でなく架線柱が橋脚2スパン毎なので、阪和線と道明寺線が残り、電車の2色塗り分けなので近鉄に絞る。
だがしかし、パンタの向きと、信号機は疑問が残る。

さあ、どの推理が正解か!?
明智犬五郎か、はたまた武庫川警部か!?


あす日曜日はスペシャル企画として、
科学、物理学、文学、心理学、算数、こくご、リカ、社会など、ありとあらゆる方向から課題を照射し、昭和27年7月27日にこの絵を描き終えたと推測される時刻、午後3時に正解編をアップします!
コレはもう、
テツドーブログのノーベル賞やー(大糞核爆)!
ぜひ、おたのしみに(ダレがぁっ!?)!